川端康成原作の雪国が放映されました。小説を読んだのは50年以上前なので、
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」という書き出しを覚えてい
るくらいで、ストーリーのほとんどは忘れていました。
そのせいか、雪国ってこんなストーリーだったのかと、却って新鮮な気持ち
で観ることが出来ました。主人公役の高橋一生は相変わらずでしたが、駒子役
の奈緒は印象的で、特に何度か繰り返された、「何となく好きで、その時は好
きだとも言わなかった人の方が、いつまでも懐かしいのね、忘れないのね」と
いう台詞は印象に残りました。
何でもあけすけにハッキリ主張する現代の風潮の中で、駒子のような情緒的
な感性は、すっかり忘れ去られてしまったのでしょうか。『瀬を早み 岩にせ
かるる滝川の われても末に 逢わんとぞ思う』いう和歌があります。岩にせ
きとめられた川の流れがまた一つになるように、好きな人と別れてもまた逢い
たい、というような意味で、あけすけに言うより余程心に響きます。
もう一度駒子の心に触れたいので、「雪国」を読み返してみようと思います。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」という書き出しを覚えてい
るくらいで、ストーリーのほとんどは忘れていました。
そのせいか、雪国ってこんなストーリーだったのかと、却って新鮮な気持ち
で観ることが出来ました。主人公役の高橋一生は相変わらずでしたが、駒子役
の奈緒は印象的で、特に何度か繰り返された、「何となく好きで、その時は好
きだとも言わなかった人の方が、いつまでも懐かしいのね、忘れないのね」と
いう台詞は印象に残りました。
何でもあけすけにハッキリ主張する現代の風潮の中で、駒子のような情緒的
な感性は、すっかり忘れ去られてしまったのでしょうか。『瀬を早み 岩にせ
かるる滝川の われても末に 逢わんとぞ思う』いう和歌があります。岩にせ
きとめられた川の流れがまた一つになるように、好きな人と別れてもまた逢い
たい、というような意味で、あけすけに言うより余程心に響きます。
もう一度駒子の心に触れたいので、「雪国」を読み返してみようと思います。