ネットで検索すると、「大抵の人が怒ることでも笑って許す」ことを、人間の器と定義するようです。最近はどうも、怒っている人ばかりが増えて、笑って許す人を見かけなくなった気がします。そんな風潮の中、野田元首相の行動には器の大きさを感じます。
安倍元首相の国葬が行われた時、国葬にした手順に問題があるとか言って、参列しなかった野党議員が大勢いました。そんな中、大切な人を弔う気持ちは別だと言って、野田元首相は同じ党派の中でただ一人参列しました。私はそんな姿に器の大きさを感じたものです。その反面、参列しなかった野党議員には器の小ささを感じてしまいます。親に断りなく結婚なんかして、そんな結婚は認めないと息巻いている、わからずやの親父みたいではありませんか。
日本には、「1億総中流」なんて豊かな時代もありました。せめて「1億総おこりんぼ」なんて言う、つまらない国にだけはなって欲しくないものです。
安倍元首相の国葬が行われた時、国葬にした手順に問題があるとか言って、参列しなかった野党議員が大勢いました。そんな中、大切な人を弔う気持ちは別だと言って、野田元首相は同じ党派の中でただ一人参列しました。私はそんな姿に器の大きさを感じたものです。その反面、参列しなかった野党議員には器の小ささを感じてしまいます。親に断りなく結婚なんかして、そんな結婚は認めないと息巻いている、わからずやの親父みたいではありませんか。
日本には、「1億総中流」なんて豊かな時代もありました。せめて「1億総おこりんぼ」なんて言う、つまらない国にだけはなって欲しくないものです。