元気UPブログ

心が元気になるような記事を紹介するようにしています。

夕飯が待ち遠しい ❤

2023年12月09日 | 日記
 数カ月前までは、週末競馬新聞を買いに行くことが一番の楽しみでした。それが今、夕飯が一番の楽しみになっています。病院の栄養指導を受けて、間食はしない、果物は朝食後に、という制約を守っているため、食事だけが唯一食べる楽しみになっているのです。
 
 今考えると、これまでは間食のし過ぎだったと反省しているのです。菓子類はいつも切らさないようにして、朝食の後に間食、昼食の後にも間食、夕食の後にもチョッと間食、という具合でした。特に食べたいお菓子や饅頭があるわけではなく、間食することが習慣になっていたんですね。もっともらしい言い方をすると、「間食依存症」ということになるのでしょうか。

 依存症というのは、言わば長年かけて作られた「」ですから、これを改善するのは容易ではありません。ただ、本人が悪い癖だということを自覚していれば、改善することは可能です。そこでまず、菓子類をストックしないことにしました。頂いた菓子類は、忍び難きを忍んで娘や孫に回し、手元には置かないようにしました。

 そして間食をしたくなる最大の原因ですが、私の場合は、脳がストレスを解消しようとするからです。そうであればということで、徐々に仕事を減らすことにしました。好きでやっている仕事を辞めるのは、これまた忍び難いことではあるのですが、引き際のタイミングもまた大事にしたいと思うのです。
 
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

親権について説明出来ますか?

2023年12月01日 | 日記
 
 親であれば当然持つことになる親権ですが、「親権って何なの?」と子どもに聞かれた時、正しく答えることのできる方がどの位いらっしゃるでしょう。子どもの生活や養育に関する、親の「法的な権利と責任」が親権です。親が対外的に子どもを代行出来るのは、この親権があるからです。

 夫婦どちらにも親権が認められますが、日本での法律では、離婚するとどちらか一方が親権を持つことになります。そして今、離婚してもどちらの親にも親権を認めよう、という検討がされています。賛否両論です。私が関わっているNPOでは、離婚して離れ離れに暮らしている親子を会わせる、面会交流支援を行っています。

 私たちが間に入っても、両親の意見を調整するのは容易ではありません。それがお互いに同等の権利を主張し合ったら、果たして穏やかに話し合うことなど出来るのでしょうか。オーストラリアでは、こうした争いを仲裁するための公的な相談所があるようです。緩衝地帯は必要不可欠でしょう。

 また親権には、「監護権」という「日常的な世話や教育を行う権利と責任」が含まれています。親は権利だけではなく、自分が負っている責任も自覚する必要があります。
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寄り添い方も色々

2023年11月23日 | 日記
 寄り添うという言葉は、お葬式のコマーシャルでも登場します。最近入院することになった身とすれば、お葬式の関係者に寄り添って欲しくはないのですが、寄り添うという言葉には何やら心地良さを感じます。
 
 チャットGPTで調べたところ、「お互いに近づいて支え合ったり、共感し合ったりすること。」という返事が返って来ました。支え合う・共感し合うことが、心地良さの正体なのかもしれません。なるほど、夫婦や恋人、極めて親しい友人同士であれば納得なのですが、寄り添うことが求められる他の関係ではどうでしょう?

 看護師は患者に寄り添ってくれますが、共感してはくれません。患者の痛みや辛さに一々共感していたら、仕事にならないからです。教師やスポーツのコーチもそうです。彼らの目的は生徒や選手の成績を伸ばすことなので、一人一人に共感していたら仕事にならないのです。つまり、看護師や教師、スポーツのコーチなどに、チャットGPTの答えのような関係は期待出来ないということになります。

 そこで恐れ多いのですが、チャットGPTの答えは却下することに致しました。寄り添うとは、『相手が必要とする支援を提供すること。』と私流に解釈することにします。その方が、どのような関係においても当てはまると思えるのです。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『古今和歌集』恋の歌

2023年11月16日 | 日記
 NHKの100分で名著、今回のテーマは古今和歌集です。体調が悪い時は和歌どころではないでしょうから、和歌の番組が目に留まるようになったのは、体調が良くなった証でしょう。古今和歌集といえば、有名なのは小野小町、小町といえば恋の歌。古今和歌集1,100首の内、3分の1が恋の歌だとか。
 
 解説者の話しによると、恋というのは相手を想う心であり、2人の間に距離があることで恋は深まって行くのだそうです。この距離というのは、1つは心の距離であり、2つ目は地理的な距離のことです。この距離を少しづつ埋めながら気持ちを深めて行くのが、平安時代の恋のテクニックだったようです。

 なるほどなぁと、手紙しか伝達手段のなかった中高生時代を思い出していました。現代はといえば、携帯で相手の顔を見ながら話を出来るので心の距離も近くなり、飛行機や新幹線でどこにでも行けるので地理的な距離も近くなりました。その分、少しづつ気持ちを深めて行くという努力をしなくなってしまったのが、私達現代人なのではないでしょううか。便利なようで、味気ない気もしてきます。

 最後に、私の住んでいる下妻市には、小野子町(おのこちょう)という町名があります。これ、(おののこまち)と呼んだ方が町おこしになるんじゃないかと思うのですが、そうした声が一向に上がってこないのが不思議です。

 

 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

親子の絆

2023年11月09日 | 日記
 我が家は一人娘ということもあって、娘が中学生の頃までは、缶ジュースを回し飲みしたりしていたのですが、高校生になる頃からはそうしたこともなくなりました。親離れ・子離れしたのがその頃だったのでしょう。親子が絆のようなものを実感するのは、その頃までなのかもしれません。

 それから20数年、どういう風の吹き回しか、娘が私の手術に立ち会ったり、医師との面談に立ち会ったり。思えば私もそうでした。若い内は、親はいつも元気でいて当たり前のように思っていますからね。入院したりすると、いつも気にしないでいた分、ショックが大きいのかもしれません。であれば、親がいなくなるかもしれない不安を感じてもらうことは、親子の絆を確認するためには必要な条件、と言えなくもないですね。
 
 その娘、来春に車を買い替える予定でいるのですが、車イスからでも乗り降りしやすい車種にするのだそうです。どうも私のことが念頭にあったようです。今乗っている車は、私の父親が車イスを使い始めた頃に買った車で、車イスごと移動出るようにと選んだものでした。私の記憶では、父親と車イスを乗せたのはたった1度きり。今度の新車、どのくらい私のために活躍してくれるのでしょう?
 
 

 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする