アメフトの違反プレーが、今報道を賑わしています。コーチや監督の
指示があったかどうかは判然としないようですが、選手がやりたくてや
ったプレーではないんだろうな、という印象を受けています。
そんなことを考えている時、昔教わった孔子の言葉を思い出しました。
「心の欲するところに従えども、矩(のり)をこえず」やりたいことを
やっても正しい道を踏み外さない、というような意味だったと思います。
正しい道を踏み外すと分かっていながら、どうして心が欲しないことを
彼はやってしまったのでしょう?
集団から排除されるのが怖かったのかもしれないし、認めてもらえな
い焦りがあったのかもしれません。ただ、そうしたことを恐れず、心の
欲するところに従うというのは、誰にとっても難しいように思えます。
人間の欲求には5段階あって、最終的に目指すのは「自己実現」だと
言われていますが、実はその上に、「自己超越」という6段階目がある
そうです。見返りを求めず、ただひたすら目的に没頭する、これが自己
超越の状態なんだそうです。こうした状態にならない限り、孔子の言う
「心の欲するところに従えども、矩をこえず」を実践するのは、とても
大変なことで、簡単に出来ることではないのかもしれません。
指示があったかどうかは判然としないようですが、選手がやりたくてや
ったプレーではないんだろうな、という印象を受けています。
そんなことを考えている時、昔教わった孔子の言葉を思い出しました。
「心の欲するところに従えども、矩(のり)をこえず」やりたいことを
やっても正しい道を踏み外さない、というような意味だったと思います。
正しい道を踏み外すと分かっていながら、どうして心が欲しないことを
彼はやってしまったのでしょう?
集団から排除されるのが怖かったのかもしれないし、認めてもらえな
い焦りがあったのかもしれません。ただ、そうしたことを恐れず、心の
欲するところに従うというのは、誰にとっても難しいように思えます。
人間の欲求には5段階あって、最終的に目指すのは「自己実現」だと
言われていますが、実はその上に、「自己超越」という6段階目がある
そうです。見返りを求めず、ただひたすら目的に没頭する、これが自己
超越の状態なんだそうです。こうした状態にならない限り、孔子の言う
「心の欲するところに従えども、矩をこえず」を実践するのは、とても
大変なことで、簡単に出来ることではないのかもしれません。