瓜生山山頂で少し休憩して、トレイルの続きを歩きました。すぐに、狸谷山不動院に降りる分岐があります。
東山一帯は中世時代には、山城を構築して都を守っていました。その城跡が数多く残されています。ルート案内標識に「見はらし台」に立ち寄る山道があったので、迂回してみました。
ここから更に東に数百メートルはいった先に北白川城が昔に作られて、その出城(見はらし台、京都盆地を偵察する)があった場所ですが、現在は木々に囲まれて眺望はありません。
細い尾根道もありました。
時々、木の間から街並みが遠望できる場所はありました。
少し歩くと、突然、峠の鞍部に至り道が広くなりました。昔の林道のようですが、今はもう車は通れません。一乗寺林道というようです。
この道は殆ど平坦に等高線に沿って比叡山に近づいていくようです。
壊れかけた大きな石の鳥居が出現。この奥に弁天堂があるようです。
営林署が立てた立派で大きな看板が、森林の保護育成事業の告知をしていますが、そこの地図がやや紛らわしくて、「京都一周トレイル」のルートとは別の山道で比叡山へ行くように書いてあります。おや変だなと思って、何度か読み返すと、赤く太い点線はハイキング道の線ではなくて、造林事業の設定範囲を示すための線でした。ボクがここで休憩している間に後からきた一人のハイカーはその図を見て、「トレイル」ではない方角に歩いて行きました。その地図からはその先、比叡山ドライブウェイに合流するようです。でも自動車道路は歩くのには風情がありませんね。
次に来た山岳マラソンランナー風の人は、こちらの標識を何度も見て、正しく左折して山の急斜面の道を駆け下りて行きました。
せっかく登って来たのに、急坂を降りていくのはとても残念ですが、尾根の幾つか越え、その間には渓流が流れているので一旦は谷間に降りねばなりません。
こんな渓流です。飛び石のコンクリートブロックが置いてあります。
美味しそうなきのこが・・・
ふうふういって尾根を登り返すと、
水飲対陣碑に出ました。ここで雲母坂(きららざか)登山道と合流します。
この場所は、南北朝時代1336年に足利尊氏に追われた後醍醐天皇が比叡山に逃れる時、その武将がここに陣を張って天皇を守ったのです。ここにも歴史が。
送電線鉄塔があり市街地が遠望できました。宝ヶ池の京都国際会館やグランドプリンスホテルが見えました。
これは登山道です。最澄が延暦寺を建立した時期、788年から千年以上にわたって通行された山道と思われ、雨水の流れに削られてこんなに深い溝になっています。
足元には野生栗のイガが落ちていますが、中身はみんな取り出されていました。サルか鹿がわって食べたのでしょう。猿はどうやってイガをむくのかな?木の枝とか石を使うのかしら。
無線塔がようやく見えてきました。もうケーブル駅はすぐです。この分岐点はケーブル駅と延暦寺方面の分かれ道です。
最後の上りは相当にキツくて、汗が吹き出します。写真の時刻記録を見ると、水飲対陣碑から50分かかっています、途中10分くらい休憩しましたが。
無線鉄塔前の展望場所。左に見える山を二つ三つ乗り越えて歩いてきました。
東山コースの終点標識で、74番です。標高690m。出発した北白川の標高は約100mなので、この日の標高差は約590mで、歩行時間は3時間40分でした。
下山はケーブルカーに乗ります。足の筋肉は相当に疲労してますから安全策をとりました。
八瀬に降りてきて、叡電駅までの途中の湧水池のほとりに彼岸花が鮮やかに咲いていました。
川原でピクニックやBBQして遊んでいる人たちがいました。
この日の総歩数は18,216歩。十分満足な結果になりました。
東山一帯は中世時代には、山城を構築して都を守っていました。その城跡が数多く残されています。ルート案内標識に「見はらし台」に立ち寄る山道があったので、迂回してみました。
ここから更に東に数百メートルはいった先に北白川城が昔に作られて、その出城(見はらし台、京都盆地を偵察する)があった場所ですが、現在は木々に囲まれて眺望はありません。
細い尾根道もありました。
時々、木の間から街並みが遠望できる場所はありました。
少し歩くと、突然、峠の鞍部に至り道が広くなりました。昔の林道のようですが、今はもう車は通れません。一乗寺林道というようです。
この道は殆ど平坦に等高線に沿って比叡山に近づいていくようです。
壊れかけた大きな石の鳥居が出現。この奥に弁天堂があるようです。
営林署が立てた立派で大きな看板が、森林の保護育成事業の告知をしていますが、そこの地図がやや紛らわしくて、「京都一周トレイル」のルートとは別の山道で比叡山へ行くように書いてあります。おや変だなと思って、何度か読み返すと、赤く太い点線はハイキング道の線ではなくて、造林事業の設定範囲を示すための線でした。ボクがここで休憩している間に後からきた一人のハイカーはその図を見て、「トレイル」ではない方角に歩いて行きました。その地図からはその先、比叡山ドライブウェイに合流するようです。でも自動車道路は歩くのには風情がありませんね。
次に来た山岳マラソンランナー風の人は、こちらの標識を何度も見て、正しく左折して山の急斜面の道を駆け下りて行きました。
せっかく登って来たのに、急坂を降りていくのはとても残念ですが、尾根の幾つか越え、その間には渓流が流れているので一旦は谷間に降りねばなりません。
こんな渓流です。飛び石のコンクリートブロックが置いてあります。
美味しそうなきのこが・・・
ふうふういって尾根を登り返すと、
水飲対陣碑に出ました。ここで雲母坂(きららざか)登山道と合流します。
この場所は、南北朝時代1336年に足利尊氏に追われた後醍醐天皇が比叡山に逃れる時、その武将がここに陣を張って天皇を守ったのです。ここにも歴史が。
送電線鉄塔があり市街地が遠望できました。宝ヶ池の京都国際会館やグランドプリンスホテルが見えました。
これは登山道です。最澄が延暦寺を建立した時期、788年から千年以上にわたって通行された山道と思われ、雨水の流れに削られてこんなに深い溝になっています。
足元には野生栗のイガが落ちていますが、中身はみんな取り出されていました。サルか鹿がわって食べたのでしょう。猿はどうやってイガをむくのかな?木の枝とか石を使うのかしら。
無線塔がようやく見えてきました。もうケーブル駅はすぐです。この分岐点はケーブル駅と延暦寺方面の分かれ道です。
最後の上りは相当にキツくて、汗が吹き出します。写真の時刻記録を見ると、水飲対陣碑から50分かかっています、途中10分くらい休憩しましたが。
無線鉄塔前の展望場所。左に見える山を二つ三つ乗り越えて歩いてきました。
東山コースの終点標識で、74番です。標高690m。出発した北白川の標高は約100mなので、この日の標高差は約590mで、歩行時間は3時間40分でした。
下山はケーブルカーに乗ります。足の筋肉は相当に疲労してますから安全策をとりました。
八瀬に降りてきて、叡電駅までの途中の湧水池のほとりに彼岸花が鮮やかに咲いていました。
川原でピクニックやBBQして遊んでいる人たちがいました。
この日の総歩数は18,216歩。十分満足な結果になりました。