毎日、自宅から眺めている東山の瓜生山に登ってみることにしました。
京都盆地を囲む東山、北山、西山の山々をあるく「京都一周トレイル」が作られ、案内地図も道標もよく整備されています。何回かに分けて、これを歩いてみます。
(引用:http://kaiwai.city.kyoto.jp/raku/kanko_top/kyoto_trail.html)
9月29日(土)、左京区の白河通、銀閣寺より少し北になる「北白川別当町」からスタートしました。上記のルート図では東山コース③です。
別当町の交差点から東に300mほど行くと、日本バプテスト病院があります。この前に「No.55道しるべ」が立っています。病院の堺に沿って右手の細い道に入ります。
きれいな小川が流れていて、近所の子供達が遊んでいます。
すぐ左手に、大山祇(おおやまみ)神社という小さな神社がありました。渓流のそばにあるので苔むしています。
このあたりから、一挙に山道になりました。
中世時代、京都東山の麓にある白川村は白川石という花崗岩の産地として有名でした。その石細工の技術にも優れていました。
白川石はこの清沢でも採取されていました。
その当時に、作られてそのままここに置かれたままになった石材が苔むしていました。こんなことにも歴史を感じます。
昔の石切り場の案内看板です。
ここの石で石灯籠や仏像が作れれたことがわかります。
現在は使われていませんが、石切り場の岩壁の現状です。
すぐ近くに、白幽子(はくゆうし)巌居跡という史跡があります。
”またここは白幽子が内観の法を白隠に伝授した所謂「夜船閑話」発祥の地でもある。「夜船閑話」は後に臨済禅中興の祖と尊崇される白隠禅師が白幽子によって肺病を治癒した体験の名著である。この著書で白幽子の名と内観の秘法は日本中に広まった。”(引用:上記看板)
さて「内観」とは、なんのことでしょうか?
”江戸時代の禅僧・白隠慧鶴の著書『夜船閑話』(やせんかんな)に紹介されている心身のリラックス法。白隠は修行時代に心身のバランスを崩して禅病(ノイローゼ状態)に陥ったが、京都白川の山奥に住む「白幽子」という仙人に伝授された「内観の法」により、健康を回復したという。その内容は、仰臥して、丹田から両足にかけての範囲に意識を置くための4つの公案を静かに唱えるというものである。自律訓練法に似ているとされる。
『夜船閑話』には、内観法以外に「軟酥(なんそ)の法」も記されている。これは、頭の上に鴨の卵ほどの軟酥(クリームのようなもの)の塊があるとイメージし、それが次第に融けて流れ出し、自分の体の調子の悪い部分を浸し、症状を洗い流してしまうと観想する方法である。”(引用:http://ja.wikipedia.org/wiki/内観)
急坂を10分くらい登り尾根に出ると、番号の振られた石仏が幾つか現れました。
この尾根のすぐ下に位置する狸谷山不動院の奥の院の参道に並ぶお地蔵さんのようです。
瓜生山(標高301m)に到着。木々に囲まれていて展望はありません。正面のお堂は狸谷山不動院の奥の院。
登山を始めて約1時間の道のりでした。
反対側の比叡山から歩いて来た中年ブループのハイカーが昼食を取っていました。
(つづく)
京都盆地を囲む東山、北山、西山の山々をあるく「京都一周トレイル」が作られ、案内地図も道標もよく整備されています。何回かに分けて、これを歩いてみます。
(引用:http://kaiwai.city.kyoto.jp/raku/kanko_top/kyoto_trail.html)
9月29日(土)、左京区の白河通、銀閣寺より少し北になる「北白川別当町」からスタートしました。上記のルート図では東山コース③です。
別当町の交差点から東に300mほど行くと、日本バプテスト病院があります。この前に「No.55道しるべ」が立っています。病院の堺に沿って右手の細い道に入ります。
きれいな小川が流れていて、近所の子供達が遊んでいます。
すぐ左手に、大山祇(おおやまみ)神社という小さな神社がありました。渓流のそばにあるので苔むしています。
このあたりから、一挙に山道になりました。
中世時代、京都東山の麓にある白川村は白川石という花崗岩の産地として有名でした。その石細工の技術にも優れていました。
白川石はこの清沢でも採取されていました。
その当時に、作られてそのままここに置かれたままになった石材が苔むしていました。こんなことにも歴史を感じます。
昔の石切り場の案内看板です。
ここの石で石灯籠や仏像が作れれたことがわかります。
現在は使われていませんが、石切り場の岩壁の現状です。
すぐ近くに、白幽子(はくゆうし)巌居跡という史跡があります。
”またここは白幽子が内観の法を白隠に伝授した所謂「夜船閑話」発祥の地でもある。「夜船閑話」は後に臨済禅中興の祖と尊崇される白隠禅師が白幽子によって肺病を治癒した体験の名著である。この著書で白幽子の名と内観の秘法は日本中に広まった。”(引用:上記看板)
さて「内観」とは、なんのことでしょうか?
”江戸時代の禅僧・白隠慧鶴の著書『夜船閑話』(やせんかんな)に紹介されている心身のリラックス法。白隠は修行時代に心身のバランスを崩して禅病(ノイローゼ状態)に陥ったが、京都白川の山奥に住む「白幽子」という仙人に伝授された「内観の法」により、健康を回復したという。その内容は、仰臥して、丹田から両足にかけての範囲に意識を置くための4つの公案を静かに唱えるというものである。自律訓練法に似ているとされる。
『夜船閑話』には、内観法以外に「軟酥(なんそ)の法」も記されている。これは、頭の上に鴨の卵ほどの軟酥(クリームのようなもの)の塊があるとイメージし、それが次第に融けて流れ出し、自分の体の調子の悪い部分を浸し、症状を洗い流してしまうと観想する方法である。”(引用:http://ja.wikipedia.org/wiki/内観)
急坂を10分くらい登り尾根に出ると、番号の振られた石仏が幾つか現れました。
この尾根のすぐ下に位置する狸谷山不動院の奥の院の参道に並ぶお地蔵さんのようです。
瓜生山(標高301m)に到着。木々に囲まれていて展望はありません。正面のお堂は狸谷山不動院の奥の院。
登山を始めて約1時間の道のりでした。
反対側の比叡山から歩いて来た中年ブループのハイカーが昼食を取っていました。
(つづく)