知覧という旧陸軍飛行基地がこの山の北側に30キロくらい離れた町にあります。そこは特攻隊の出撃地として知られています。特別攻撃というのは、戦闘機に片道だけの燃料を積み込み、その分多めの爆弾を抱えて、敵(米軍)の戦艦に突入攻撃をすることです。「神風攻撃」として恐れられました。
年若い飛行兵たちが基地を飛び立ち、目立ってきれいな開聞岳に最後のあいさつをして、攻撃目標に向かって行きました。
だんだんに傾斜が厳しくなってきます。樹木に囲まれているので眺望の開けた場所は少なくて、それでも4カ所だけはヘリコプターで救助する場所の看板が立ててありました。
木の根が階段のかわりになっています。
ここまでに、下山する男性一人とすれ違っただけでしたが、ここ8合目で十数人の子供たちを中心とするグループに追いつきました。
400m進むと、1合ぶん登ったことになります。
岩とロープが現れました。こんな岩をよじ登るも楽しい。
9合目で記念写真を撮っている小学生。元気です。
もう少し大きな岩場がありました。このあたりは、大きな岩、ゴツゴツした石ばかりの登山道になりました。滑って転ぶと岩の角で怪我をしそうです。小学生グループの若い男性リーダーが始終大きな声で冗談を交えつつ注意をしていました。
頂上近くの「救助ポイント」、万一ヘリコプターで救助が必要な場合のアクセス場所ですが平坦な土地はなく、樹木が途切れているので上空から吊り上げることができます。
山頂に到着できました。神社のお社が安置されています。
目標の午後3時を8分だけ超過していましたが(15:08登頂)。
昭和63年7月20日に皇太子さんが登頂したと記された石碑があります。雅子妃も一緒の登山でした。
標高924m。残念ながら、霧に囲まれているので眺望はありません。
途中で追い越した小学生たちが、少し遅れて登ってきました。リーダー男性によると5時間かかったとのこと。
私の場合は、2合目登山口から2時間55分、バス停登山口からでは3時間22分でした。
登頂を喜ぶ子供たちです。
~~
下山は、意図的にゆっくりと歩きました。足を踏み下ろす時のショックが膝や筋肉に負担を与えるからです。
下山開始は15:30、2合目登山口到着が18:05ですから、所要時間は2時間35分。もう少し時間をかけてもよかった。
これが歩数計の記録です。12時台は、登山開始直後なのでまだ傾斜がゆるい道ですが、その後厳しくなり歩数が減り、15時台は登頂して休憩した20分が含まれるので、歩数は少ない。それ以降は、下山なのでやはり時間あたりの歩数が増えています。
麓から、指宿の宿に帰るバスはもう終了していたので、JR枕先線の開聞駅発19:17にあわせて、のんびりと集落の中を駅まで2kmほど歩きました(18時台)。
年若い飛行兵たちが基地を飛び立ち、目立ってきれいな開聞岳に最後のあいさつをして、攻撃目標に向かって行きました。
だんだんに傾斜が厳しくなってきます。樹木に囲まれているので眺望の開けた場所は少なくて、それでも4カ所だけはヘリコプターで救助する場所の看板が立ててありました。
木の根が階段のかわりになっています。
ここまでに、下山する男性一人とすれ違っただけでしたが、ここ8合目で十数人の子供たちを中心とするグループに追いつきました。
400m進むと、1合ぶん登ったことになります。
岩とロープが現れました。こんな岩をよじ登るも楽しい。
9合目で記念写真を撮っている小学生。元気です。
もう少し大きな岩場がありました。このあたりは、大きな岩、ゴツゴツした石ばかりの登山道になりました。滑って転ぶと岩の角で怪我をしそうです。小学生グループの若い男性リーダーが始終大きな声で冗談を交えつつ注意をしていました。
頂上近くの「救助ポイント」、万一ヘリコプターで救助が必要な場合のアクセス場所ですが平坦な土地はなく、樹木が途切れているので上空から吊り上げることができます。
山頂に到着できました。神社のお社が安置されています。
目標の午後3時を8分だけ超過していましたが(15:08登頂)。
昭和63年7月20日に皇太子さんが登頂したと記された石碑があります。雅子妃も一緒の登山でした。
標高924m。残念ながら、霧に囲まれているので眺望はありません。
途中で追い越した小学生たちが、少し遅れて登ってきました。リーダー男性によると5時間かかったとのこと。
私の場合は、2合目登山口から2時間55分、バス停登山口からでは3時間22分でした。
登頂を喜ぶ子供たちです。
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下山は、意図的にゆっくりと歩きました。足を踏み下ろす時のショックが膝や筋肉に負担を与えるからです。
下山開始は15:30、2合目登山口到着が18:05ですから、所要時間は2時間35分。もう少し時間をかけてもよかった。
これが歩数計の記録です。12時台は、登山開始直後なのでまだ傾斜がゆるい道ですが、その後厳しくなり歩数が減り、15時台は登頂して休憩した20分が含まれるので、歩数は少ない。それ以降は、下山なのでやはり時間あたりの歩数が増えています。
麓から、指宿の宿に帰るバスはもう終了していたので、JR枕先線の開聞駅発19:17にあわせて、のんびりと集落の中を駅まで2kmほど歩きました(18時台)。