カリフォルニア大学アーバイン校、Calit2(IT・通信工学部)のモットーです。
無理に翻訳してみると、「技術革新、分野統合、創業支援、ビジネスに点火」 でしょうか。
米国の優良高校では、PBL(プロジェクト・ベース・学習)の時間があって、生徒の自発的な興味でテーマを選び教員の助言によってプロジェクトを完成する活動も盛んに行われていると聞きました。その際、教員からの提案や押し付けは全くしないとのこと。
日本の「ゆとり教育」はなぜ「失敗」したのでしょうか。本来は「詰め込み」だけでなく(それはそれで必要だが)、多様性、社会ニーズの気づきを得るための「ゆとり」教育が大切だと思います。
※UCI、Surf-ITの夏休み10週間プロジェクトで学生に2,000ドルのお金を支払うのは理由があります。通常、米国の親は大学生になった子供に授業料を援助しません。学生自身が夏休み(3ヶ月)に働いてその資金とするのが普通のようです。これは一種の文化でしょうか、ライオンの親が子を崖から落とすような。自立の覚悟を付けさせる。
※※Surf-ITの時に指導する教員の手当はどうなっているか。事情が日本と大きく違うのですが、米国の大学教員は1年間のうち9ヶ月しか給与を支払われていません。見方を変えれば、夏の3ヶ月は、雇用されている大学に縛られずに「自由に」過ごしていい、遊んでいてもいい、アルバイトしてもいい、外国に勉強に行ってもいい。研究Grantが獲得できていれば、自分に給料を払うこともできます。
無給の3ヶ月を、このプログラムのために働けば担当教員には報酬が支払われます。実習テーマの提案募集はそんな教員に対して行われ、ラボやコンピュータは大学の設備が提供されます。これらの教育資金は企業からの寄付で賄われていると聞きました。
研究者として研究費獲得の競争は想像以上に厳しいですから、最先端の研究活動に没頭するよりは、「教育」にシフトして生涯を送ろうとする人々も出てくるはず。教育の工夫に懸命に努力する大学教員が生まれる素地があると思いました。
学部教育でも、米国の大学では、ダブルメージャー(2つの専攻を学修)、メージャー・マイナー(副専攻も学修)の制度を持ち、理系、文系の区別を融合して勉強させています。
日本の大学は、戦前の帝国大学において「文科」「理科」と学部を余りにもはっきりと切り分けていたこと。その反省もなく、戦後も文系、理系と中学校くらいから別クラスにしてします、それも単に数学がわからないから文系とか安易に進路を決める。もうこの辺で、開発途上国型の中等・高等教育のシステムを改革をしないといけません。
あるいは、日本での算数・数学の教え方が悪いのではないでしょうか? 数学が得意な教員や数学者が、自分の視点で教科書を書くからかな。
このCalIT2センター長 G.P. Li教授は、台湾の大学を出てUCバークレー校でPh.D、その後IBM研究所などで業績をあげて現在は米国で教育研究のリーダーとして実績をあげています。
日本の移民受け入れ環境も思い切って変えていくべきだと深刻に思います。