朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

粟田口

2012-05-09 | 京都の文化(春)
蹴上のつつじをアップで。



浄水場がある場所は、京の七口の一つで、粟田口と呼ばれ、東から京都に入る重要な関門でした。現在でも町名にそれが残っています。
例えば、上下水道局蹴上浄水場(京都市東山区粟田口華頂町3)



ここには、かつて与謝野鉄幹と晶子が愛を育んだ粟田の宿「辻野」があった場所で、歌碑が建てられています。

  御目ざめの鐘は知恩院聖護院 いでて見たまへ紫の水 (与謝野晶子)

与謝野晶子は大阪府堺市の出身のためか、京都の短歌も多く残しています。歌集「みだれ髪」で名前が売れる前につくったこの短歌は、東京在住の鉄幹との泊まり明けを歌ったとされています。

この歌に出てくる、知恩院と聖護院は粟田口から相当離れているので、リアルな情景を意味しているということではなくて、「院」という韻を踏んでリズム感をだしています。
(歌詞での聖護院が、真如堂や方広寺とされているバージョンもあるとされています)

紫の水は、どの川をイメージしますか。

こんなことをネット検索で調べていたら、夢之華全釈: 与謝野晶子第六歌集(著者: 逸見久美1994年)の全文Googleブックスで出て来ました。出版社の許諾を受けた全文公開とは全く便利な時代です。



浄水場の向かいは、インクラインのレールが残っています。明治時代、トンネルを掘って琵琶湖の水を引くと共に、船を通して水運に利用、水道として飲用に、さらには高低差を利用して水力発電まで成し遂げたのです。まったく、明治の日本人たちは偉い。



現在も琵琶湖の水は京都の水道水の元になっているのですが、オープンエアの疎水で取り込むのではなくて、この写真にあるような大きな鉄管を地下に埋め込んで市内の浄水場に送水していると説明板に書いてあります。



こちらは、発電所の説明図です。現代では残念ながら、この水力発電だけでは生活や産業がまかなえません。
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