朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

圓通寺、眺望条例

2012-05-16 | 京都の文化(春)
比叡山がきれいに見える京都市左京区岩倉の丘の中腹にこのお寺があります。



江戸時代の初期、後水尾天皇(後の上皇)の山荘として設立されました。比叡山を借景とする枯山水庭園は上皇が自ら石を選んだとされています。後水尾上皇はこの地からもっと比叡山に近い場所に修学院離宮を造営したため、この山荘は近衛家に譲渡されました。

徳川幕府と当時の後水尾天皇の政治的確執は激しいものがあったようです。
例えば、
”寛永6年(1629年)の紫衣事件や将軍・徳川家光の乳母春日局が無官のまま参内した事件に関して江戸幕府への憤りを覚えた父・後水尾天皇から突然の内親王宣下と譲位を受け、興子内親王として7歳で践祚。これにより称徳天皇以来859年ぶりに女帝(明正天皇)が誕生した。
 治世中は後水尾上皇による院政が敷かれ、明正天皇が朝廷における実権を持つことは何一つなかった。寛永20年(1643年)21歳で異母弟・紹仁親王(後光明天皇)に譲位して太上天皇となった。のちに出家して、太上法皇となる。元禄9年(1696年)に崩御。享年74歳。”(引用:Wikipedia:明正天皇の記事)



10年ほど前に、比叡山の方角にある農地の宅地開発が始まり、有名な借景が危機となりました。
この景観を守るため、圓通寺住職は景観の保護運動にのりだしました。例えば、それ以前は許可していなかった庭園と比叡山の風景を拝観者が撮影することも許容して、眺望の重要性をアピールしたのです。

2007年には「眺望条例」が制定されたので、今後は宅地開発や建築に規制がされることになっています。



参考資料:
 (引用:http://www.asahi.com/special/isan/OSK200702140035.html )

五山への眺め・円通寺の借景…京都市「眺望条例」制定へ
2007年02月14日16時08分
 渡月橋下流から望む嵐山など古都・京都を代表する「眺望」を守るため、京都市は視界に入る建物の高さやデザインを規制する「市眺望景観創生条例案」を20日に始まる市議会に提案する。条例に違反し工事停止や是正命令に従わない場合には、懲役1年以下または50万円以下の罰金を科すことができるなど罰則規定も盛り込んだ。
 条例の対象となる候補は、送り火で知られる五山への眺めや借景で知られる円通寺の庭園から見る比叡山、世界遺産に登録されている下鴨神社の境内での眺めなどで、市が昨年38地点をリストアップした。清水寺や金閣寺など世界遺産の周辺では、半径500メートルの区域で、屋根の角度や形状などを細かく制限。条例制定後、手続きを経て正式決定する。
 条例では、眺めた際に視界に入る区域では眺望を遮らないよう建物の高さを標高で規制するほか、建物のデザインや色などの基準を定める。建物を建てる時は市長の認定を受けなければならず、基準に沿わない場合は市長が設計の変更を勧告することができる。

(引用終わり)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする