団塊Gの気ままな野菜作りと写真日誌

のほほんとした田舎暮らしの毎日。家庭菜園よりは少し規模の大きな野菜栽培やデジカメphoto等々・・・。

奈良ドライブ@東大寺

2013-03-23 | Others

法隆寺を出てから遅い昼食を食べた後どうするか、と家人に相談したところ「やっぱり鹿のフンでしょう」というので行き先を奈良公園にセット。

駐車場に入れて奈良公園を散策。広い公園、思ってたよりずーっと大きな公園だった。春日大社や興福寺にも行きたかったが時間が余りないのと、歩いて行くと丁度東大寺の近くまで来たのそのまま参道を進み見物していくことに。門がとてつもなく大きい。ビルの高さに換算すれば6、7階ぐらいはありそう。

 勿論、本殿も巨大だった。

 それにしても聖武天皇はなんであんな巨大な大仏を作ろうと思ったのだろうか?

東大寺のホームページに答えはあった。

Q.なぜこんなに大きい仏像を造る必要があったのでしょうか?
A.仏教が発祥したインド内において巨大な仏像(10m以上)が造られた例は殆どありません。仏教が伝わっていった周辺地域、シルクロードの東西交易路に沿った中央アジアなどで、交易の経済的な繁栄によって富を得た王侯貴族らが、巨大仏像を造る願主となり、弥勒信仰とあいまって多くの巨大仏が造られました。中国においては、5世紀頃から皇帝らが願主となって多くの巨大な弥勒仏や盧舎那仏が造られました。『華厳經』には、盧舎那仏は宇宙そのものであることが説かれていますが、「十」という数字が宇宙に拡大出来る特別の数字であることから、仏像の基本寸法である丈六(じょうろく)を十倍したものと考えられます。つまり、寸法としては15mと限りがありますが、内容としては無限大の宇宙的寸法と言えるでしょうか。奈良時代、東大寺の前身寺院である羂索堂において、3年間みっちりと『華厳經』の講義が行なわれたのもそこに意義があるわけです。

鎮座する大仏像はその後震災、火災などにより何度か倒壊などがあり、当時のまま残っておるのは台座ほか僅か修理と造営は絶え間なく続いたらしい。現在の寺観になったのは江戸期の再建事業でおこなわれたとある。

 

で、奈良公園の鹿

帰り道はナビに導かれるまま田舎道を通って山添村の東名阪のIC経由で帰名。

車を変えて今回が初の遠距離ドライブだったが、驚いたのが「UP!」の燃費の良さ、満タンにしてからそれまでに40km走っており今回の往復350kmを加えると400km近い走行に対して燃料計は3/4も残っている。満タンでも35リッターしか入らないよ。オンボードコンピュータ搭載グレードではないのではっきりとは判らないが軽くリッターあたり25kmを超えているような気がする。カタログ燃費は23kmなのでこれを上回っている。普段乗っている軽トラは10kmしか伸びない。

更に高速100km巡航でのハンドリングの良さと静かな走行音は思っていた以上。

途中、山を抜けるS字カーブが連続した道を通ったけれどかなりのスピードでも思った通りコーナーを抜けていくことができる。これには驚いた。

 

 

 

コメント
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