GAMAの菜園&フォト日誌

SINCE JUNE 2005・・・菜園情報と写真で綴るGAMAの雑記帳

大晦日

2011年12月31日 18時15分09秒 | ガマのつぶやき
大掃除も終わりこれから12年物の紹興酒を開けて一杯の予定。これで今年も終わりです。一年が早く感じられるようになって随分になります。50越えてからくらいかな。
されど一年は一年。それなりにいろいろあります。来年はどんな年になるでしょう。
楽しみです。では皆さん、良いお年を。

凍りつくほうれん草。
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Yahooは弓ヶ浜の風力発電施設を見ながら行く年来る年です。
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2011

2011年12月30日 18時42分04秒 | ガマのつぶやき
2011年の自分の年頭所感はいきなりTPPへの参加意見表明でした。菅政権下で唯一自分が支持していた政策でした。しかし、飽きっぽい菅さんが途中で放り出してしまったので案じていましたが野田さんが苦肉の策で参加交渉へ向けた一歩を踏み出しました。

しかし、2011はなんといっても311に尽きますね。自分は被災は必ずあると確信していたので10年くらい前からレスキューキットを持ち歩いていました。ラジオ、懐中電灯、予備電池、サバイバルナイフ、非常食、大型ビニール袋、医療用品、薬、緊急連絡方法、携帯電話予備電源などです。311では役に立ちました。

311は地震と津波と原発の3要素ですが、自分は地震だけの被災かと思っていましたが、原発も含めざるを得ない感じですね。SPEEDIの情報が公表されなかっただけでなく、活用もされず、避難民が高濃度の放射能の流れに沿って非難をさせられた事実は許しがたい政府の大失態だと憤慨しています。公表するとパニックになるので控えたと言い訳していますが、公表しなくとも避難民の誘導には活用すべきだったのです。要するに130億円もの巨費を投じて作ったシステムの存在を忘れていたという失態を隠すための言い訳をしてるだけでそれが許せない部分ですね。風向きが悪いから北や北西には非難するな、南西方面に移動してくださいと誘導すれば良かったのです。しかし、それ以前に水素爆発を原子力安全委員会のデタラメ、もとい、斑目委員長が完全に失念していたというのはとんでもない罪だと思います。当日はあまりに情報が錯綜し振り回されていたので思い至らなかったと弁明していましたが、周りも彼に気付かせる環境を与えていなかったし、誰一人想定以上の津波もそれによる電源喪失もはたまた水素爆発も意識の隅にさえ持っていなかったのだから原子力を安全に管理する能力を持っていないことすら知らなかったということです。やはり当時の政権与党の罪は免れませんね。そこまで責任を持つべきです。そしてそれを言うなら大きくは日本人全員の責任なんでしょうね。痛い痛い教訓です。

あと、東北の津波ですね。過去の教訓が生きていて助かった部分と、忘れられていたがために助からなかった部分がありました。

そして、もう一つ、忘れられない感動があのナデシコジャパンでした。
被災で沈む日本を、日本人を、我々をどれほど勇気付けてくれたか。計り知れない功績です。正に世界一のチームですね。男子のアジアカップも凄かった。あのリーのゴールは忘れられない。

明日は大晦日ですね。皆さん、もうすっかり準備万端なのかな?


写真は厳冬のガマ菜園。右のビニールハウスから左端の竹組みまでがガマの領地。
奥のハウス群はお隣さんたちです。今年もいろいろ楽しませてもらいました。菜園仕事は年が明けてから
再開です。
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サヤエンドウとソラマメ

2011年12月29日 18時32分48秒 | 菜園ティスト日記
サヤエンドウは絹サヤとスナップエンドウです。グリーンピースはあまり好きでないので作っていません。通常は笹竹を北側に刺して防風し越冬させますが、今年は防虫ネットを防風ネット代わりに張ったので何もしていませんでした。ところが、風が吹くと苗があっちへ向いたりこっちを向いたり、風に押されて根元を軸に暴れまわります。これではそのうちよじれて切れてしまわないとも限らない。それで笹を立ててやりました。これに絡まって根元は守られるでしょう。それに笹があれば蔓を伸ばして自分で体を固定させることでしょう。
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氷点下4度近い菜園でじっと身をかがめて寒さに耐えるソラマメの苗です。
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こちらは11時くらいの様子。太陽の光を浴びるとむっくり起き上がってきて成長を再開します。恐ろしい生命力に脱帽。
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あちらは初場所間近の両国からです。
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孔子と楷書

2011年12月28日 21時18分13秒 | ガマのフォト日記
湯島聖堂の中に置かれている孔子の立身象。3メートルくらいの大きな象。
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孔子象の側に立てられている楷の木の薀蓄。孔子と楷書、そして楷書の語源となった木の由来など書かれている。
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楷の木。黄色の葉が青空に冴える。
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楷の木は湯島聖堂のシンボル的存在。入徳門と楷。
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孔子廟と楷。
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意外と有名だったんですね、ここの孔子象。自分は結構ノー天気でした。学生時代もこの辺りはほっつき歩いたんですが。

今日は会社の納会でした。いろいろ会社の将来を話していた相手の営業女性がなんと娘と同学年と知って愕然。更にその父親も自分と同い年でした。あ~あ、年を取ったものだ。
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銭型親分の街はAKB48の街に

2011年12月27日 18時21分38秒 | ガマのフォト日記
これが神田明神の男坂。銭形平次が住んでいたのは神田明神下だからこの坂の下辺りだろう・・・ということは、つまりは今で言う秋葉原ということになる。
平次は毎日明神様へお参りにこの階段を登っていたのだろう。^^
神田明神下 クリックで大きくなります。



神田明神から通りを一本抜けるといきなりAKB48劇場が。もっとも下はディスカウントのドンキホーテだが。
AKB48劇場 クリックで大きくなります。



秋葉原駅前。劇場の脇を抜けて来るとJRの駅前広場に出る。大昔はこちら側は市場だったので来る人も人数も限られていた。それが一変。今やこちらがメッカだ。
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京浜東北線と山手線の線路の下にAKB48カフェ。本物のメンバーが交代で接客に現れると言う事ですごい人気。メンバーといっても多分テレビにはほとんど登場していないベスト20にも入らないメンバーかそれ以下の研修生だろう。それでもAKBはAKBだが。早い話が若者向けの宝ジェンヌのような存在だ。
AKB48カフェ クリックで大きくなります。



メンバーも交代で現れて接客するというカフェ。多分秋葉で一番元気なカフェかも。この子もメンバーか研修生の1人? 
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お隣はガンダムカフェ。人によってはAKBよりこっちかも。
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今秋葉の駅はホームから外までAKBだらけ。この写真や一人ひとりの写真がべたべた貼ってある。かなり盗まれてもいるようだが。^^こちらは高い壁に貼られているので盗まれようがない一枚。カフェを見下ろすように秋葉駅前広場を見下ろしている。それにしてもこの騒ぎにはさすがの平次親分も辟易だろう。
AKBの写真 クリックで大きくなります。

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湯島聖堂

2011年12月26日 19時59分23秒 | ガマのフォト日記
湯島聖堂が何かは正直何も知らずにいた。さだまさしの歌であの橋が聖橋でこちらの建物が湯島聖堂というお寺か神社だと思っていた程度。将軍綱吉によって建立された孔子由来の学問所で後の筑波大学やお茶の水女子大学の楚になった史跡であるとは知らなかった。これは比較的最近修復された入徳門。
人徳門 クリックで大きくなります。



本殿というより学廟。孔子廟というらしい。下に孔子の象がある。
湯島聖堂本殿 クリックで大きくなります。



学問にゆかりがあるのでこのように学術成就を祈願する絵馬が多い。
絵馬に願いを クリックで大きくなります。



秋の気配を撮ろうと立ち寄ったので屋根を撮ってみた。
屋根 クリックで大きくなります。

屋根2 クリックで大きくなります。



このような装飾を見ると、なるほどここが学問所であったことがなんとなくうなづける。
円窓 クリックで大きくなります。



今年の漢字も置かれていた。災は阪神大震災の時の今年の漢字。2011の311は日本の歴史に永久保存される年の一つになってしまった。
災絆 クリックで大きくなります。



あちらは居候のネズミ君です。
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特番を見て

2011年12月25日 18時41分04秒 | 菜園ティスト日記
一昨日の日テレと今日のTBSの特番を見ましたが(TBSはまだ続いていますが)、改めて311の衝撃の大きさに驚かされます。311当日と翌日、自分は帰宅難民でしたのでずっと避難場所や電車の駅と駅を結ぶ道を娘と歩いたり電車を待ったりしていて報道されていた実況はほとんど目にしていなかったのです。時系列で報道されていた内容はこれら特番で初めて目にする光景がかなりありました。改めて衝撃です。そして、それらに増して怖いと思ったのはこれから発生が予測されている東海、東南海・南海連動型地震です。関東大震災は火災で、阪神大震災は建物倒壊で、東日本大震災は津波で多くの命が奪われました。東海・東南海・南海連動型地震はマグニチュードは東日本並みの9.0、それが陸地に近い震源で起こるため陸上の震度は阪神大震災並みの上に津波が起こる。つまり上記3つの大震災の特徴が合わさって起こる複合型の激甚災害が想定されているということです。これはもう逃げるしかないでしょう。あとはどう上手く逃げるかです。今回の経験で学んだ事を頭に入れて普段の生活圏のあらゆる場所での非難方法をシュミレーションしておくしかないですね。

玉ネギ畝の温度は-8.1度でした。
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レタストンネルの上も同じ。
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葡萄の屋根だけハウス地上1メートルで-5.5度。
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ビニールハウスは完全締め切りですがそれでも-5.0度。
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お隣のKDさんの屋根だけハウスは-5.7度。ウェザーニュースでのつくばの最低気温予想は-4.0度。それよりは確実に低い事は確かです。予測は観測箱の中の測定だからこういう実際の畑ではかなりブレるということでしょう。
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気温が低いくらいなら原発や津波や地震と比べれば何の問題もありません。でも、予測は難しいものですね。予測の倍冷えているんですから。


Yahooはささやかなクリスマスです。
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東名高速道路海老名SA

2011年12月24日 16時09分29秒 | ガマのフォト日記
上り線の海老名SAが刷新されました。EXPASA海老名と呼ぶんだそうです。マスコミが暇を持て余して報道していましたが、金正日のニュースでかっ飛んでしまいましたね。早速覗いてみました。
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高級な路線に切り替えたと言われていますが、なんと成城石井が・・・ 成城石井とは成城学園という上流階級が邸宅を構える小田急線沿線の地域から出てきた高級路線のスーパーなんですが、なんで高速の海老名に?って感じですね。自宅手前のサービスエリアで取り合えず帰宅後または明朝の食材を買って帰りたいという客層を狙っているとテレビでは解説していましたが・・・。しかし、ベツバラストリートとは良くぞ命名したものです。女性のハートをくすぐりますね。実際そういうものがたくさんある。
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二階にはユナイテッド・アローズときました。比較的この店としては「廉価」な品揃えですが、しかしSAにあっていい店なんですかねぇ・・・どうなるか興味津々。
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コンシェルジェが常駐していて案内をしてくれる。一流ホテルでコンシェルジェと言えば客のどんな要求にも応えてくれるすごい存在ですがそれなりに高いホテルですので・・・一泊5万円くらい以上からかな? ここでは高速道路案内のようです。しかしこの雰囲気はSAを逸脱していますよね。
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二階のトイレの入り口。これでは都会に馴染まないお年寄りにはトイレに見えないでしょうね。
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二階から見ると上りエスカレーター前には案内役が、下りエスカレーター前にはガードマンが立っている。つくばを通る常磐高速のSAとは雲泥の差。さすが首都圏。
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というわけで話題のサービスエリアでした。海老名SAは首都圏では屈指の規模のSAですが、上り線はいつもかなり混雑しています。ここを逃すと首都高の渋滞前は港北を残すのみですが、実は首都高の入り口の用賀料金所脇に最後の砦がありました。この前発見して投稿しました。意外と知られていないので空いていました。


あちらはつくばの足ながおじさんです。^^
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伊豆七島は美しいが・・・

2011年12月23日 16時14分06秒 | ガマのフォト日記
伊豆大島。前の噴火は凄まじかったが最近はいい子にしているようだ。この島は伊豆七島の中で最も東京から近い。
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ここに写っているのは左から利島(としま)、鵜渡根島、新島、御蔵島、式根島だが
鵜渡根島と式根島は所謂七島には含まれない。新島の後ろに三宅島、写っていない右の方に神津島、そしてこの高さでは見えない奥(南)の方に八丈島がある。伊豆七島というより最近は差別を避けて伊豆諸島と呼んで鳥島の方までをまとめて呼ぶようだ。南端の小笠原諸島は伊豆諸島とは別もの。
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母が他界し、兄夫妻がこの地から本拠地を福島へ移すとわざわざ観光客として訪れない限りこの風景とは疎遠になる。
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伊豆は東京や東海から近いが、舗装道路は行き渡っているものの幹線道路の整備がされていないため、最寄の東名高速沼津インターや裾野インターから南端まで2時間くらいかかってしまう。しかもシーズンになると逃げ道のない渋滞に巻き込まれるためひどい目に合った人も多いと思う。電車なら下田まで特急の踊り子号などで行けるが、その先の足が超不便。しかも大雨や地震があると陸の孤島と化す。基本西回りと東周りと天城越えで有名な天城峠の3本しか道がないのだ。これがネック。そのため産業が育たず、若い人が残れない。自分もその1人かもしれない。房総半島とは似て非なる辺境の地と言っても過言ではないかもしれない。南伊豆から御前崎へ橋でも渡れば一変するだろうが、この間にあるのが例の駿河湾。肉眼で対岸が見えるのに2,000メートルの海溝が隔てている。そのためトンネルも橋も無理。しかも東海地震が30年以内に確実に発生するだろうと言われるし、御前崎には浜岡原発があるときたら当分観光客も増えないだろう。景色に似合わない厳しい土地柄です。


Yahooは最寄の駅のクリスマス飾りです。
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かつての故郷の我が家

2011年12月22日 19時55分04秒 | ガマのフォト日記
この道は昔小学校、中学校、高校へ通った道。人里から1キロ近く離れ一山を隔てた誰も住まない場所。父が何故にこの辺境の更に辺境を研究所として選び家族を引き連れて移住したか不思議である。最も、最初は里に借家をして通っていたようだが。
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兄夫婦。兄が若い頃、村への働きかけでこのように舗装を実現させたそうだが、自分がいた頃は赤土の裸道路で雨の後などは恐ろしいほど滑る恐怖の山道だった。その上に夏場はマムシの散歩道ときた。棒を持って歩くのが当たり前だし、暗くなったらなるべく歩かないのが習慣となっていた。
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かつての農園の入り口が見えてきた。当時は数メートルだったアメリカンヤシの木が十メートル以上の巨木になって何本も並んでいる。
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かつて住んだ家は震災のせいかは定かではないが完全に倒壊していた。
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メタセコイヤ。これは樹齢70年近い。巨木になっているが蔓に絡まれて少し弱っているようだ。素手で剥がせるだけは取っておいた。
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これはかつて畑の一部だったところ。夕暮れで暗かったため写真がぶれてしまってみ難いが、すでに大きな自然樹に覆われてみる影もない。
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かつての家の前に残っている金明竹の束。竹はタフだ。見る人が見れば珍しい植物があちこちに残っている。
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余裕があればもう少し綺麗にしておきたいところだが、距離もあるし、福島の農園を優先するとなると手を入れるのは難しいかもしれない。とりあえずは兄の遊休地として自然林に戻るに任せることになりそうだ。


Yahooは伊豆の弓ヶ浜です。
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両国駅界隈

2011年12月21日 17時05分53秒 | ガマのフォト日記
総武線で錦糸町の隣り、秋葉原からは二駅目の両国。国技館や赤穂浪士の討ち入りで日本人なら誰でも知っている地名だが、古くから隅田川の花火や更には江戸前寿司発祥の地としても有名。自分には母の出生の地として小さい頃から何度も耳にした地名です。
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駅前にあるその第一は江戸東京博物館。駅からだと国技館より目立つ存在と言っていい、でかいので。ここに来れば江戸がわかるといった存在でもある。東京スカイツリーも目の前だし。
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言わずと知れた両国国技館。日本武道館が比較的近くにあってもこちらは武道ではなく「国技」館。でも横綱は最近は3代続いて外国人。^^ 外国人観光客の訪問定番地。正面ではなく、駅前方面から写してみた。
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旧安田庭園。ほとんど知られていない存在だが東京は名所が多すぎる故。特に両国は激戦地だから。^^ 隅田川の水を間接的に引き込んだ汐入回遊庭園で満潮時と干潮時の東京湾の汐の満ち引きに影響されて変化する隅田川の水位で池の水位が変動する自然仕掛けのすごい庭園。だから池の中の飛び石が水没したり現れたりする。設計の発想が深い。しかも無料で開放されている。さすが安田財閥。庭園についてはまた日を改めて紹介します。
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安田庭園の斜向かいにある震災記念堂というか旧陸軍被服廠跡。震災記念堂とあるのは関東大震災での犠牲者の多くがここで命を落とした故。後に東京大空襲での犠牲者もここに安置され東京を代表する慰霊の地とされている。靖国神社や戦没者慰霊碑と並んで重い場所。実は大震災の折、このすぐ南に住んでいて被災した母と家族は、多くの人がこの場所に避難して、持ち込んだ家具に火災旋風で引火した炎で焼かれ命を落とした際、あまりに多くの人でここへ入れず風上の深川へ逃げて命拾いしたと何度も聞かされたいわくの地。なんとその時に3万8千人もの人が黒コゲになったというから凄まじい。まかり間違えば自分も今存在していなかったのだから感慨深い。
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脇を流れる隅田川と両国橋。墨田区は墨と書くのに、隅田川は隅と書く。紛らわしい。^^ 川の両側は散歩道というか公園が整備されているし、これより北側は桜の名所でもある。もちろん隅田川の花火もここで開催される。
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両国松坂町と言えば吉良屋敷。この一画が公園として保存されいて当時赤穂浪士の襲撃で命を落とした吉良の家来衆の碑も中にある。当時はこの85倍の面積というからこの一帯が吉良屋敷だったのだろう。よくぞ47人で討ち取ったものだ。30数年前、この側で社会人をスタートした自分だったが、ここがあまりに小さかったために尋ねあぐねた記憶がある。
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母ゆかりの元徳稲荷。立川(竪川)と三つ目通りの交わる場所にある。後ろに京葉道路の高架が見えるが、この下が立川。運河として江戸幕府によって作られたもの。母が住んでいた頃はここで泳げたそうだ。この写真を撮影した20時間後に母が他界した。不思議な縁を感じた。
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以上が両国駅周辺ぶらり旅。幾つかのスポットはまた改めてUPすると思います。
この地に40年くらい関わっていますが意外と普段は素通りしてしまっていますね。本社は恵比寿に移ってしまったし。でもこの後はこの側の旧本社で子会社の支援業務に当ることになりそうです。



あちらは河津桜の「春よ来い」です。
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母が天寿を全うしました。

2011年12月20日 06時55分52秒 | ガマの選曲
兄のPCだとGOOブログへの対応が難しいのであちらへ
登校しました。

Yahooでご報告します。
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何日か留守にします。

2011年12月17日 16時25分48秒 | ガマのつぶやき
母の見舞いのため出かけることになりました。
暫く更新できないかもしれませんがご心配なく。
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神田明神

2011年12月16日 18時54分21秒 | ガマの選曲
蔵前橋通りを西へ下るとやがて本郷通りに合流するが、その少し手前の妻恋付近に神田明神への裏参道がポツリと現れる。このあたりの地形は崖型で、湯島聖堂や神田明神の東側は20m近い崖が続く。この階段もかなり急だ。
神田明神裏参道 クリックで大きくなります。





神田明神の本殿。
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山門はミニ陽明門といった感じ。徳川将軍家の建立とだけあってどこか通ずるものがあるようだ。
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山門に寄るとちょっとケバイ感じすらする。これもまた良しか?すぐ隣りの湯島聖堂と比べると対照的な色彩だ。
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御百度参りの場所。百度参れば願いが叶うなど儚い迷信だろうが、一体どれほどの人がその迷信にすがった事か。ご利益というより、願う人の想いが通じるかどうかということだろう。苦痛の代償に願を賭けるというのであればもう少し建設的な行為の方がいいように思うのだが・・・なんてこと言っちゃいかんですよね。
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あちらはモーレツおまわりさんです。
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街中の秋色

2011年12月15日 19時01分41秒 | ガマのフォト日記
街中で見た秋を切り取ってみました。最初は屋根越しに秋。
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聖橋坂下
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中央線とお堀
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真っ赤に見慣れていると黄色は斬新。
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このスダジイの枝ぶりに見惚れました。シルエットにして背景の秋と一緒に切り取ってみました。
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