GAMAの菜園&フォト日誌

SINCE JUNE 2005・・・菜園情報と写真で綴るGAMAの雑記帳

両国駅界隈

2011年12月21日 17時05分53秒 | ガマのフォト日記
総武線で錦糸町の隣り、秋葉原からは二駅目の両国。国技館や赤穂浪士の討ち入りで日本人なら誰でも知っている地名だが、古くから隅田川の花火や更には江戸前寿司発祥の地としても有名。自分には母の出生の地として小さい頃から何度も耳にした地名です。
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駅前にあるその第一は江戸東京博物館。駅からだと国技館より目立つ存在と言っていい、でかいので。ここに来れば江戸がわかるといった存在でもある。東京スカイツリーも目の前だし。
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言わずと知れた両国国技館。日本武道館が比較的近くにあってもこちらは武道ではなく「国技」館。でも横綱は最近は3代続いて外国人。^^ 外国人観光客の訪問定番地。正面ではなく、駅前方面から写してみた。
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旧安田庭園。ほとんど知られていない存在だが東京は名所が多すぎる故。特に両国は激戦地だから。^^ 隅田川の水を間接的に引き込んだ汐入回遊庭園で満潮時と干潮時の東京湾の汐の満ち引きに影響されて変化する隅田川の水位で池の水位が変動する自然仕掛けのすごい庭園。だから池の中の飛び石が水没したり現れたりする。設計の発想が深い。しかも無料で開放されている。さすが安田財閥。庭園についてはまた日を改めて紹介します。
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安田庭園の斜向かいにある震災記念堂というか旧陸軍被服廠跡。震災記念堂とあるのは関東大震災での犠牲者の多くがここで命を落とした故。後に東京大空襲での犠牲者もここに安置され東京を代表する慰霊の地とされている。靖国神社や戦没者慰霊碑と並んで重い場所。実は大震災の折、このすぐ南に住んでいて被災した母と家族は、多くの人がこの場所に避難して、持ち込んだ家具に火災旋風で引火した炎で焼かれ命を落とした際、あまりに多くの人でここへ入れず風上の深川へ逃げて命拾いしたと何度も聞かされたいわくの地。なんとその時に3万8千人もの人が黒コゲになったというから凄まじい。まかり間違えば自分も今存在していなかったのだから感慨深い。
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脇を流れる隅田川と両国橋。墨田区は墨と書くのに、隅田川は隅と書く。紛らわしい。^^ 川の両側は散歩道というか公園が整備されているし、これより北側は桜の名所でもある。もちろん隅田川の花火もここで開催される。
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両国松坂町と言えば吉良屋敷。この一画が公園として保存されいて当時赤穂浪士の襲撃で命を落とした吉良の家来衆の碑も中にある。当時はこの85倍の面積というからこの一帯が吉良屋敷だったのだろう。よくぞ47人で討ち取ったものだ。30数年前、この側で社会人をスタートした自分だったが、ここがあまりに小さかったために尋ねあぐねた記憶がある。
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母ゆかりの元徳稲荷。立川(竪川)と三つ目通りの交わる場所にある。後ろに京葉道路の高架が見えるが、この下が立川。運河として江戸幕府によって作られたもの。母が住んでいた頃はここで泳げたそうだ。この写真を撮影した20時間後に母が他界した。不思議な縁を感じた。
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以上が両国駅周辺ぶらり旅。幾つかのスポットはまた改めてUPすると思います。
この地に40年くらい関わっていますが意外と普段は素通りしてしまっていますね。本社は恵比寿に移ってしまったし。でもこの後はこの側の旧本社で子会社の支援業務に当ることになりそうです。



あちらは河津桜の「春よ来い」です。
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