GAMAの菜園&フォト日誌

SINCE JUNE 2005・・・菜園情報と写真で綴るGAMAの雑記帳

2011

2011年12月30日 18時42分04秒 | ガマのつぶやき
2011年の自分の年頭所感はいきなりTPPへの参加意見表明でした。菅政権下で唯一自分が支持していた政策でした。しかし、飽きっぽい菅さんが途中で放り出してしまったので案じていましたが野田さんが苦肉の策で参加交渉へ向けた一歩を踏み出しました。

しかし、2011はなんといっても311に尽きますね。自分は被災は必ずあると確信していたので10年くらい前からレスキューキットを持ち歩いていました。ラジオ、懐中電灯、予備電池、サバイバルナイフ、非常食、大型ビニール袋、医療用品、薬、緊急連絡方法、携帯電話予備電源などです。311では役に立ちました。

311は地震と津波と原発の3要素ですが、自分は地震だけの被災かと思っていましたが、原発も含めざるを得ない感じですね。SPEEDIの情報が公表されなかっただけでなく、活用もされず、避難民が高濃度の放射能の流れに沿って非難をさせられた事実は許しがたい政府の大失態だと憤慨しています。公表するとパニックになるので控えたと言い訳していますが、公表しなくとも避難民の誘導には活用すべきだったのです。要するに130億円もの巨費を投じて作ったシステムの存在を忘れていたという失態を隠すための言い訳をしてるだけでそれが許せない部分ですね。風向きが悪いから北や北西には非難するな、南西方面に移動してくださいと誘導すれば良かったのです。しかし、それ以前に水素爆発を原子力安全委員会のデタラメ、もとい、斑目委員長が完全に失念していたというのはとんでもない罪だと思います。当日はあまりに情報が錯綜し振り回されていたので思い至らなかったと弁明していましたが、周りも彼に気付かせる環境を与えていなかったし、誰一人想定以上の津波もそれによる電源喪失もはたまた水素爆発も意識の隅にさえ持っていなかったのだから原子力を安全に管理する能力を持っていないことすら知らなかったということです。やはり当時の政権与党の罪は免れませんね。そこまで責任を持つべきです。そしてそれを言うなら大きくは日本人全員の責任なんでしょうね。痛い痛い教訓です。

あと、東北の津波ですね。過去の教訓が生きていて助かった部分と、忘れられていたがために助からなかった部分がありました。

そして、もう一つ、忘れられない感動があのナデシコジャパンでした。
被災で沈む日本を、日本人を、我々をどれほど勇気付けてくれたか。計り知れない功績です。正に世界一のチームですね。男子のアジアカップも凄かった。あのリーのゴールは忘れられない。

明日は大晦日ですね。皆さん、もうすっかり準備万端なのかな?


写真は厳冬のガマ菜園。右のビニールハウスから左端の竹組みまでがガマの領地。
奥のハウス群はお隣さんたちです。今年もいろいろ楽しませてもらいました。菜園仕事は年が明けてから
再開です。
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