毎日、どれくらいの人に「おはようございます」と「ありがとうございます」と言っているのかな~。少なくとも、30人、40人には言っているだろうな。もちろん、会社の人や関係会社の人にだけど。そして、仕事中もどれだけの人に「ありがとうございます」と言っているだろうか。
この間、たまたまチャンネルを替えるとあの細木数子さんとニートな人たちとのトークバトルをやっていた。思わず、見てしまった(笑)
そんな中で細木数子さんが言っていた「仕事は心でするんだよ」という言葉が印象に残った。
なんかすごくいい言葉をきいたような気がした。仕事を単に金もうけと考えてはいけないという細木さんの言葉・・・なるほど、仕事にも心が宿るんだ。
私は大学出たての頃は「いきがい」こそ仕事に求めてはいたけれど、現実にはそんな自分の思うような仕事につけるわけはなかった。大学生の時の就職活動では、もともと頑固ものだったので、あまりたくさんの会社回りはせずに、自分が行きたいところを絞りに絞って受けたのだけど、運良くその1つから内定をもらって、自分の描いた会社生活が始まるかとおもいきや現実はそんなに甘くはなかった。自分の思う職種とははるかにかけ離れた仕事で、重役秘書より下っ端の部長秘書で、しかも化学関係の英語辞書を与えられ、法律文を翻訳するという、分けわからない仕事もさせられた。翻訳していて眠くなると秘書業務に力を入れて、社内のあちらこちらにでかけるという日々で、自分が描いた仕事とは全く違ったわけだ。
私が描いていたのは広告を作る・・・という仕事だ。商品のポスターの写真やキャッチを考えたり、広告代理店の人たちといろいろ考えるというそんな仕事だった。それに期待してその会社に入ったのに。でも、広報誌のイラストとかは頼まれて、描いていた。自分の本来の仕事よりずっとそっちの方が楽しかった。
でも、今考えるともっとなぜに仕事に心を入れてなかったのだろうと思う。もちろんさぼっていたわけではない。でも、不平不満がいっぱいで、なんでこんなことしないといけないんだ・・・みたいな感じだった。合理的に物事を考えていた。相手より自分のことを考えていたそんな気がする。今考えると恥ずかしい感じだ。
それがいろんな事を経験し、今はまったく違う会社で「いきがい」もない単なる事務の仕事をしているんだけど、それでも、その頃より仕事に心があるそんな気がする。自分でも不思議なんだけど、相手がどんな人であっても、その人が仕事をやりやすくなるためにはどうしたらいいか、といつも考えてしまう。そして、荷物をいっぱいかかえてドアを開けるのに困っている人を見れば、自然と体が走ってドアを開けたり、とにかく皆が気持ちよく過ごせるにはと考える。それは善人ぶりっこするためにではない。こんな事を書くとそう思う人もいるだろう。思うなら、そう思ってくれても私は構わない。
そりゃあ、むかつく人もいるけど、そうじゃないひとの方がやっぱり多い。そんな人たちが笑顔をかえしてくれる瞬間はやっぱり人としてうれしい。
ほとんど関わりのない職場の人にも「おはようございます」というと笑顔で「おはようございます」と答えてくれるし、私がいっぱいの荷物をもっていたら、ドアを開けて待っていてくれたり、いっしょに運んだりしてくれるあまり知らない人たち・・・そんな人たちに私は心を込めて「ありがとうございます」と言う。それは社交辞令でもなんでもない。ほんとにそう思うんだもの。「ありがとう」・・・って。
だから、私もそうしてあげたいと思う。そして、それぞれの職場で毎日一生懸命働く人たちは皆すばらしいと思う。肉体労働している人たちもパソコンを使いながら、難しい会議をしている人たちも同じように素敵だと思う。疲れて帰りの電車に乗っているサラリーマンにも作業服着た人たちにも皆に心から御苦労様と言いたい。
一流企業に勤めてたって、心がなければ虚しい。皆が嫌がるような仕事だって、心があれば最高な仕事になり得る。私は今、仕事をしていてそう思う。人から見れば、単調なつまんない仕事だろうし、私自身もそこに生き甲斐なんてはもってはいない。でも、人の心や物への心を知って、感動することが多い。
もっと最初の仕事場でそういうことをわかりたかったな・・・って今後悔。
「仕事は心でやるんだよ」・・・いい言葉だ。
この間、たまたまチャンネルを替えるとあの細木数子さんとニートな人たちとのトークバトルをやっていた。思わず、見てしまった(笑)
そんな中で細木数子さんが言っていた「仕事は心でするんだよ」という言葉が印象に残った。
なんかすごくいい言葉をきいたような気がした。仕事を単に金もうけと考えてはいけないという細木さんの言葉・・・なるほど、仕事にも心が宿るんだ。
私は大学出たての頃は「いきがい」こそ仕事に求めてはいたけれど、現実にはそんな自分の思うような仕事につけるわけはなかった。大学生の時の就職活動では、もともと頑固ものだったので、あまりたくさんの会社回りはせずに、自分が行きたいところを絞りに絞って受けたのだけど、運良くその1つから内定をもらって、自分の描いた会社生活が始まるかとおもいきや現実はそんなに甘くはなかった。自分の思う職種とははるかにかけ離れた仕事で、重役秘書より下っ端の部長秘書で、しかも化学関係の英語辞書を与えられ、法律文を翻訳するという、分けわからない仕事もさせられた。翻訳していて眠くなると秘書業務に力を入れて、社内のあちらこちらにでかけるという日々で、自分が描いた仕事とは全く違ったわけだ。
私が描いていたのは広告を作る・・・という仕事だ。商品のポスターの写真やキャッチを考えたり、広告代理店の人たちといろいろ考えるというそんな仕事だった。それに期待してその会社に入ったのに。でも、広報誌のイラストとかは頼まれて、描いていた。自分の本来の仕事よりずっとそっちの方が楽しかった。
でも、今考えるともっとなぜに仕事に心を入れてなかったのだろうと思う。もちろんさぼっていたわけではない。でも、不平不満がいっぱいで、なんでこんなことしないといけないんだ・・・みたいな感じだった。合理的に物事を考えていた。相手より自分のことを考えていたそんな気がする。今考えると恥ずかしい感じだ。
それがいろんな事を経験し、今はまったく違う会社で「いきがい」もない単なる事務の仕事をしているんだけど、それでも、その頃より仕事に心があるそんな気がする。自分でも不思議なんだけど、相手がどんな人であっても、その人が仕事をやりやすくなるためにはどうしたらいいか、といつも考えてしまう。そして、荷物をいっぱいかかえてドアを開けるのに困っている人を見れば、自然と体が走ってドアを開けたり、とにかく皆が気持ちよく過ごせるにはと考える。それは善人ぶりっこするためにではない。こんな事を書くとそう思う人もいるだろう。思うなら、そう思ってくれても私は構わない。
そりゃあ、むかつく人もいるけど、そうじゃないひとの方がやっぱり多い。そんな人たちが笑顔をかえしてくれる瞬間はやっぱり人としてうれしい。
ほとんど関わりのない職場の人にも「おはようございます」というと笑顔で「おはようございます」と答えてくれるし、私がいっぱいの荷物をもっていたら、ドアを開けて待っていてくれたり、いっしょに運んだりしてくれるあまり知らない人たち・・・そんな人たちに私は心を込めて「ありがとうございます」と言う。それは社交辞令でもなんでもない。ほんとにそう思うんだもの。「ありがとう」・・・って。
だから、私もそうしてあげたいと思う。そして、それぞれの職場で毎日一生懸命働く人たちは皆すばらしいと思う。肉体労働している人たちもパソコンを使いながら、難しい会議をしている人たちも同じように素敵だと思う。疲れて帰りの電車に乗っているサラリーマンにも作業服着た人たちにも皆に心から御苦労様と言いたい。
一流企業に勤めてたって、心がなければ虚しい。皆が嫌がるような仕事だって、心があれば最高な仕事になり得る。私は今、仕事をしていてそう思う。人から見れば、単調なつまんない仕事だろうし、私自身もそこに生き甲斐なんてはもってはいない。でも、人の心や物への心を知って、感動することが多い。
もっと最初の仕事場でそういうことをわかりたかったな・・・って今後悔。
「仕事は心でやるんだよ」・・・いい言葉だ。