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風月庵だより

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ナガサキ

2007-08-09 07:39:55 | Weblog
8月9日(木)晴れ【ナガサキ】(日の出前)

今から62年前、この日、午前11時2分、長崎、2発目の原爆投下。

アメリカは、起伏の多い土地での原爆の効果を験すべく、再度の投下を決行した。原爆の開発には、巨額の経費がかかったので、一度だけの実験では、アメリカ国民を納得させられないとも思ってか、二度も実地実験をしたといえよう。

自国民さえよければ、他国民は皆殺しにしてもかまわないような、アメリカのやりかたである(勿論全てのアメリカ人が、そうなのではないが。一部の政治家や、軍人なのであるが)。今も同じようなことを、世界正義を振りかざして、地球のあちこちで行っているのではなかろうか。

日本も戦争では、酷いことを行ったであろう。しかし、それと原爆の使用を比較することはできない。広島で充分に、その惨さが分かったというのに、再び長崎に投下した行為は悪魔のわざに等しい。二度落とさなくても、日本は白旗を挙げただろう。広島への原爆投下もさることながら、長崎への投下は、全く不必要な戦略であったはずだ。

さて、広島は浄土真宗の門徒さんが多い土地柄だそうだが、長崎はキリスト教の信者さんや、その影響の強い土地であり、「祈りの長崎」と言われる所以であろう。

『長崎の鐘』の著者であり、長崎医大の医師、永井隆博士も長崎で被爆され、妻の緑さんを失った。博士は原爆のために頭部に重傷を負ったにもかかわらず、重傷の身で、被爆者の救護活動をされた。しかし、翌年、ついに病床に伏す身となってしまった。(被爆の前、すでに白血病で、余命3年、と宣告された身ではあった。)

博士は、闘病生活を送りながら、亡くなるまでの5年間、『亡びぬものを』『ロザリオの鎖』『この子を残して』などの作品を書き続けた。『長崎の鐘』はベストセラーとなり、出版の翌年(昭和25年)松竹で映画化された。この主題歌は、今も多くの人が、ご存じであろう。作詞、サトウ・ハチロー、作曲は古関裕而による名作である。

博士は、昭和天皇に拝謁したり、ヘレン・ケラー女史のお見舞いを受けたり、内閣総理大臣から表彰されたりしている(これらはGHQの占領政策の一環であろうが)。また多額の印税を、浦上天主堂の再建に寄付をしたり、千本桜の苗木を植えたり、子供図書館(うちらの本箱)を建てることに使っている。自らは僅か2畳の如己堂で、昭和26年5月1日、平和を願い続けて亡くなられた。43歳。洗礼名はパウロである(26歳のとき洗礼を受けている)。自分自身を滅却した献身的な生き方は、賞讃してあまりある一生と、誰しも異存はないだろう。

しかし、『長崎の鐘』に書かれた一文は、問題となったようだ。それは次の箇所であるという。「原子爆弾が浦上に落ちたのは大きな摂理である。神の恵みである。浦上は神に感謝をささげねばならぬ」

多くの艱難が、自らを鍛えてくれたことに、感謝することはある。しかし、自分にだけ言うのならば、問題はなかろうが、他の多くの被爆に苦しむ人たちを巻き込んでの言葉としては、受け入れられない言葉であろう。キリスト者としての深い信仰から、出てきた言葉ではあろうが、この言葉に触れた、当時の浦上の人々の心を逆撫でしたことは、想像に難くない。視点を変えれば、この言葉のお蔭でGHQの出版許可がとれたのかもしれない。博士の意図と反して、アメリカ側に利用されたことは、事実のようだ。

10秒の原爆が、60年以上たった今でも、被爆者に苦しみを与えていることを、世界の人々、アメリカ国民の多くも実状を知らない。世界中の人々に核の恐ろしさを発信し続けていくことが、被爆国日本の悲しい責務であろう。

最近、友人が美しい声で、『長崎の鐘』を歌ってくれたので、あらためて永井博士について、学ばせて貰いつつ、平和を願い、長崎の空に掌を合わせた。

*次のブログの資料を参考にさせていただきました。http:base.mng.nias.ac.jp/k15/Nagai
*「マンハッタン計画」や黒木和夫監督作品などについて、昨年少し書きました。風月庵だより2006【ナガサキ
*このログを書くために、『長崎の鐘』を神保町で探したが、見つからなかった。インターネットの古書で探したら、『マニラの悲劇』が付録についている昭和24年の刊行になるものがあったので、注文した。『マニラの悲劇』は日本軍のアジア各地での残虐行為が書かれた小説らしい。原爆投下の正当性を書いているようで、やはり、残念ながら『長崎の鐘』は占領政策に利用されたようだ。
*末木文美士先生の『日本仏教の可能性』(春秋社、2006年)の中に、興味ある一文があったので、追加します。「アメリカの民主主義は世界に通用するという傲慢さも、やはりみんな同じレベルにいるのだから、自分が正しいことは世界じゅうだれにも通用するという考え方から出てくるのではないでしょうか。わからない他者をもう一度受けとめるべきではないかということそれがいちばん大きな問題ではないかと思います。」(192頁)