風月庵だより

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永六輔さんのコンサート

2006-11-21 23:41:11 | Weblog
11月21日(火)雨【永六輔さんのコンサート】

昨日は築地本願寺の本堂において、永六輔さんのコンサートが「歌浄土-自分の歌を自分が歌う」と題して開かれた。

永さんには、30年ほど前に私がある会をプロデュースしたとき、ゲストに出演していただいたことがある。その時その会の翌日すぐに永さんの方からねぎらいのお葉書を頂いたのである。それ以来永さんファンの一人になった。 

ところは浄土真宗本願寺派の別院である築地本願寺であるので、バックは阿彌陀様というなんとも有り難い場所である。そこに藍染めの半纏をお召しになった永さんが出てこられたが、全く違和感が無い。すぐに永さんの独り舞台が始まり、本堂一杯のファンは永さんの話に引き込まれてしまった

永さんの交友の広さは有名であるが、そのお一人瀬戸内寂聴さんの話は「此処だけの話」ということなので書くのはやめておくが、宮崎禅師様の話まで出た。宮崎さんという知り合いはすぐに浮かばないので、始めどなたかと思われたそうだ。尋ねていくと南無阿彌陀佛の南無についての話をここの若い人たちに聞かせて貰いたい、というご依頼であったそうだ。

永さんは浄土真宗のお坊さんである。諸所で法話もなさるそうだが、禅師様はラジオかテレビでの永さんの法話に感心なされたのであろう。禅師様が永さんに下さった色紙には次のように書かれていたそうだ。「法に則り、譬喩を用い、因縁を語るべし」(少し違うかもしれないが)これを井上ひさしさんは「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く」と訳したそうである。

また子供のいじめの話がでた。昔はいじめがあると、他のみんながそれを制した。いじめっ子を取り囲んで「い-けないんだ、い-けないんだ、○○ちゃんはいけないんだ、先生にいってやろ」と歌うと、いじめっ子は先生に言いつけられのは困るので自然にいじめをやめたという話。私の子供時代にもあったような気がするが、子供の頃、弱い者虐めということはなかったと思う。学習院では「もうーしあげよう、もうーしあげよう」という歌だそうである。

子供に命の大切なことを話すことや、お食事の時、永さんのお父さんは「頂きます」だけではなく「あなたの命を、私の命にさせていただきます」とお唱えしたそうである。

小林亜星さんも会場にいらしていたので、彼の世と此の世をつなぐ音楽について、倍音についてなど飛び入りでお話して下さった。

とても永さんの楽しいお話ぶりをログ上に書くのは、私にはなかなか難しい。多彩なお話の後で、ご自分が作詞した歌を永さんは歌った。水原弘が歌って大ヒットした「黒い花びら」から始まって「遠くに行きたい」の最後まで、楽しい話、満載のコンサートだった。三波春男さんとボランティアに老人ホームに行った話もあった。永さんはボランティアをしながら死ねたら本望、というようなことを、私の聞き違いでなければおっしゃったと思うが、とにかく日本全国飛び歩いているのではないかと伺える。

永さんのフィナーレの(祈りの歌ーというように私には聞こえた)甚句だと思うが、を聞いたとき、2時間がたったことが信じられないほどであった。連れて行った母もこんなに楽しいことはない、と言って喜んでくれた。また冥土のみやげを持たせてあげられましたよ。

しかし永さんが皆さんに最後にサインをしている様子を見ていると、本当はとても疲れていたのではないかと見受けられた。それはそうでしょう、36億74年も生きているのですから。(人類が地球上に出現してから36億年、それで永さんはそういうのだそうである)

永さん有り難う。コンサートに集まった人全てが善男善女にならされてしまう、永さんのコンサートでした。

*出版記念コンサート『上を向いて歌おう-昭和歌謡の自分史』永六輔(聞き手=矢崎泰久)2006年12月4日発行。飛鳥新社

*築地本願寺:浄土真宗本願寺派本願寺築地別院が正式名称。その発祥は、元和三(一六一七)年、西本願寺の別院として、第十二代宗主(ご門主)准如上人によって建立された。本堂の左手に掛けられている絵像は前宗主勝如上人。