風月庵だより

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随流去ずいりゅうこ

2006-04-21 23:39:32 | Weblog
4月21日(金)晴れ【随流去ずいりゅうこ】

今週も、はや金曜日、時がたつのが箭よりも迅い感じである。歳をとるほど時のたつのを早く感じるそうだが、毎日勤めている場合、特に早く感じるかも知れない。団塊の世代の方々も来年は定年になる人が多いようだが、通勤しなくなる日々の時の流れは果たしていかがであろう。私も、はやその年齢だが、もう少し通勤の流れがあるようだ。思えば動き続けてきた今までの時の流れである。

誰しもが人生を振り返ったとき、絶え間ない動きの中に過ごした日々であったと思うことだろう。今夜はふと「随流去」という大梅法常禅師(752~839)の言葉を学んでみたいと思ったので、已によくご存じの方もいらっしゃるであろうが、私の参究におつきあい願いたい。

大梅禅師は馬祖道一禅師(709~788)の嗣法の弟子である。仏教で大事なことは必ず師がいる、ということである。勝手に悟ったというのではなく、師によって認められなくては、法を嗣ぐことを許されないのである。当然のことながら弟子をとって人を導く、寺の住職とはなれないのである。独りよがりでは駄目なのである。

日本においても嗣法は行われているが、弟子が師に認められるほどの境涯に到達していなくても嗣法が許されている。そうでなくては私のような未熟者は嗣法を、お許し頂けなかったであろう。将来の修行に先んじて頂いたお許しと肝に銘じている。それでも嗣法を許されるまでに得度してから十年かかっている。

大梅禅師が馬祖さん(馬祖おじさんと呼びたいほど親しみが私にはあるので、気楽な「さん」付け、お許しを。)に認められたのは『景徳伝燈録』によれば次のような機縁の語である。

原文:初参大寂問。如何是仏。大寂云う、即心是仏。師即大悟。(『景徳伝燈録』巻七大梅法常章)
訓読:初めて大寂に参じて問う。「如何なる是れ仏。」大寂云く、「即心是仏。」師即ち大悟す。
訳:(大梅法常禅師は)初めて大寂禅師(馬祖さんの諡号)のもとに教えを受けにやって来て尋ねた。「仏とはなんでしょうか」と。大寂禅師は答えた。「即心是仏」と。大梅禅師は直ちに悟った。

『祖堂集』によると、大梅禅師の悟りの機縁については、もう少し詳しく書かれている。

原文:聞江西馬大師誨学、師乃造法筵。因一日問、如何是仏。馬師云、即汝心是。師進云、如何保任。師云、汝善護持。又問、如何是法。師云、亦汝心是。又問、如何是祖意。馬師云、即汝心是。師進云、祖無意耶。馬師云、汝但識取汝心無法不備。 師於言下頓領玄旨。
(『祖堂集』巻十五大梅法常章)

訓読:江西馬大師、学に誨(おし)うるを聞き、師、乃ち法筵に造(いた)る。因みに一日問う、「如何なるか是れ仏。」馬師云く、「即ち汝が心是れなり。」師、進んで云く、「如何んが保任せん。」師云く、「汝善く護持せよ。」又た問う、「如何なるか是れ法。」師云く、「亦た汝が心是れなり。」又た問う、「如何なるか是れ祖意。」馬師云く、「即ち汝が心是れなり。」師進んで云く、「祖は意無きや。」馬師云く、「汝但だ汝が心、法に備わざること無きことを識取せん。」 師、言下に玄旨を頓領す。

訳:江西の馬祖大師が学人に法を説いているのを聞いて、大梅禅師は馬大師のもとに参じた。ある日尋ねた。「なにが仏でしょうか。」馬大師は答えた。「お前の心こそが仏だ」と。大梅禅師はさらに尋ねた。「どのように守ったらよいでしょうか。」馬大師は答えた。「おまえが大事に守ることだ」と。
又た尋ねた。「なにが法でしょうか。」馬大師は答えた。「同じようにお前の心こそ法だ」と。
又た尋ねた。「なにが祖師西来の意でしょうか。」馬大師は答えた。「ほかならぬお前の心こそが祖師意だ。」と。大梅禅師はさらに尋ねた。「祖師には意が無いのですか。」馬大師は答えた。「お前の心には備わらない法は無いのだということをみてとりなさい」と。大梅禅師はその言葉を聞くとすぐに、深い根本の儀を即座に悟った。

『祖堂集』は『景徳伝燈録』に比べて、丁寧に悟った状況を述べている。この後、大梅禅師は、大梅山に四十年間 こもって里に下りなかったという。「随流去」の話は山にこもってからの話しである。

原文:時鹽官會下一僧入山采抂杖迷路。至庵所問曰。和尚在此山來多少時也。師曰。只見四山青又黄。又問。出山路向什麼處去。師曰。隨流去。『景徳伝燈録』巻七

訓読:時に鹽官の會下の一僧、抂(木偏+主)杖を采りに山に入りて路に迷う。庵所に至って問うて曰く、「和尚此山に來って、多少の時なるや。」師曰く、「只だ四山の青又た黄なるを見るのみ」と。又た問う。「出山の路、什麼處に去くや。」師曰く、「隨流去。」(*在は読まない「に」の意。)

訳:ある時、塩官斎安禅師(?~842)の弟子の一人が 抂杖になる木を探しに山に入ったところ、路に迷ってしまった。そして大梅禅師の庵に至って、僧は尋ねた。「和尚さんはこの山に入ってからどのくらいになるのですか。」大梅禅師は答えた。「只だ周りの山が青くなったり、紅葉したりするのを見ていただけだ」と。僧は又た尋ねた。「山を抜け出るにはどちらに行ったらよいでしょうか。」大梅禅師は答えた。「随流去」と。

『祖堂集』にはやはりもう少し詳しくここについて記載されている。どのくらい山にいるのか、という僧の問いに対して、「只見、四山青了又黄、青了又黄如是可計三十余度。」山にこもってから三十年余と答えている。「随流去」の箇所は「師指随流而去(師指して流れに随い去らしむ)」となっている。

「流れに随って去(ゆ)きなさい」と道に迷った僧に、大梅禅師は川に沿って行けば山を抜け出られることを教えてくれたのである。流れに逆らって歩んで行ったのでは、どんなに歩いていっても里に出ることはできない。流れに沿って歩いていけば、自然に里に導かれる。誰にでも分かる当たり前のことであるが、なかなかこれが会得できないのが、我々凡人というものだろう。水は上から下に流れるのが真理であるから、真理に従って歩いて行くともいえよう。

ただ注意しなくてはならないことは、流れに随っていくことは、流れに流されて生きていくこととは異なる。道を求める、という目標がはっきりしている上での話しである。ただふらふらと、あちらに流され、こちらに流されることではない。

私の本師は「儂は、自分で計らって何かしたいと思った事は少ない。流れに随って生きてきただけだ。」とよく云われた。僧侶として高い地位にも着かれたが、人と争ってその地位に着かれたのではない。自然とそこに着いたということだろう。しかし幼い頃、他家に預けられることになったとき、「できるだけ勉強のできるところにお願いします」と頼んだそうで、その結果お寺に預けられることになった。経師屋さんの家に預けられる話しが已にあったそうだが、その時はその話しの流れには乗らず、自ら別の流れを探したことになる。そう、流れを探すのは自らが探す必要があるだろう。

それぞれ、それぞれに合った人生を歩まれているお互いと推察しますが、如何な流れであり、如何な随いかたでありましょうか。日日是好日と受け取れましたら、有り難い限りです。一端自ら選んで流れに入った上は、多少の波風ありましょうとも随流去でしょう。流れに随って行った先は里どころでなく、広々とした大海でありましょうか。

*即心是仏:心は凡夫ともなれば仏ともなるが、心の体は仏と異なるものではなくこの心がそのまま仏である、という意。(今回は『禪學大辞典』(大修館)P764の解説に頼ります。)

*大梅法常:襄陽(湖北省)の人。幼年より荊州(湖北省)玉泉寺で修学。二十歳の時、龍興寺で具足戒を受ける。経論を深く学んだが、後禅に志し、馬祖道一のもとで悟る。浙江省慶元府にある大梅山の山奥に四十年の間、隠棲修行の日々を送る。開成元年(836)護聖寺の住持となり、多くの修行僧を導く。

*大梅法常禅師については『正法眼蔵』「諸法實相」「行持」「嗣書」巻等随処に出てくる。道元禅師がいかに大梅禅師を讃仰していられたか、うかがい知ることができる。「嗣書」巻に書かれているように、現在曹洞宗に於ける嗣法について深い因縁がある。また大梅禅師は蓮の葉の衣を着、松の実を食べて坐禅修行の日々を送ったと云われる。修行僧にとって胸に迫るものがある。