mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

そろそろ桃源郷の暮らしを思い描いてもいいのではないか。

2014-08-24 10:54:17 | 日記

 昨日は奇跡的に涼しい一日であった。と言っても、あとから聞くと最高気温は30度。厚い雲がかかり、少しばかり風もあって、野外にいても涼しい感じであった。

 

 お昼ごろに自動車のディーラーに行って、12月に手に入れる車の契約をして来た。予約して3か月かかるというので、いま契約を交わした。だが、世の中の景気がそんなに良いとは思えないのに、どうしてそんなに煽られるのかというと、税率の据え置きが今年度限りといった、アベノミクスと言われる政策的な操作に乗せられているからである。乗せられるのは癪だからやせ我慢を貫くというのも手ではあるが、余分な収入の見込みがなくて将来的にも使用価値があるものを手に入れておくのも、仕方がない。アベノミクスに反抗するために暮らしているわけじゃないのだから。

 

 アベノミクスで景気浮揚と叫んでも、どうも輸出産業の実績も考えていたほど伸びているわけではないらしい。輸出産業の主力が出るところはすでに海外に出てしまっているから、円安になったからと言って輸出が伸びることにつながっていない。2013年の統計をみても、機械工業製品や家電製品の輸出は微増にとどまっている。経産省の解析では「製品価格の引き下げをしていない」と不満そうであるが、当の企業は「価格を下げたからといって需要が増えるわけではない」とクールだ。円が安くなった分だけ微増したといっていいかも知れない。つまり、価格競争だけで張り合って行ける時代は、とっくに(日本経済の立場からすると)終わっている。

 

 その結果、海外生産品の逆輸入に依存する割合が多くなった分だけ、輸出入の入超になっている。「2013年の貿易赤字が過去最大」と報道されたのは記憶に新しい。結局円安では、燃料・原料高、海外製品の輸入価格上昇のあおりを食らう方が大きい。

 

 単純にその側面で切り取ると、アベノミクスの効果は、生産以上に消費の方にツケが回って、とどのつまり景気浮揚も浮揚感もないというわけである。良く考えてみると、輸出の伸びを担う大企業の大部分が海外生産に支えられてそちらで業績を伸ばしているのであって、GNPには反映されてもGDPの方には反映されない。でも当の大企業の業績は伸長著しいから、それなりに株価は上がる。海外からの投資は「それなりに」なのだ。それなりに日本に流れ込む。そこまでである。

 

 経済記事をみてみると、世界に冠たる生産活動はことごとく日本ローカルの特産品である。値段は高くとも、優れた技術、こまやかな配慮や創意を反映したセンスのいい品物、多様性を上手に生かしたデザイン。あるいは、地域的なコミュニティの協働によって収穫されている品々、その地域でしか実現しないネットワークを活かした製造物。つまり、文化の輸出というような側面では強さをもっているが、グローバルスタンダードをウリにする製品ではほとんど輸出競争力を得られていないことが分かる。海外の賃金の安さをとってみるだけで、太刀打ちできないことは、一目瞭然である。他方で、長年価格が引き合わないとして放置されてきた木材が、いまや輸出商品になりつつあると、TVでも報じている。こうなると林業にも、あらためて手を入れなければならないという気分が湧いてくる。

 

 しかしそれよりもなによりも、ガラパゴス化と非難されているが、日本の国内の需要に応じて行われている生産活動が、1億を超える消費者相手に十分活動的である。それは売れるか売れないかという以上に、社会的な生活に必要な生産活動、サービス活動として日々の暮らしを支えている。それを忘れて、輸出向けとか、海外との収支ばかりに目を奪われている報道を見ていると、もっと足元をみなさいよと言いたくなる。別に鎖国をすすめているわけではない。海外からの収入に頼ることばかり考えないで、自給的にやっていけることをやっていこうじゃないかと言っているのである。

 

 貿易の収支で赤字でも資本収支で稼いでいるのなら、一国経済に不安はないとエコノミストは言ってくれるが、現状は、1000兆円規模の国債も含めて過去の遺産を食いつぶしているのである。見方によっては、将来の資産を先取りして食っている。そう思うと、私のような年寄りは、内心忸怩たるものを感じて、居ても立っていられなくなる。若い孫子たちに申し訳ないではないか。ではどうすればいいのか。

 

 ふと思うのだが、過去の遺産を食いつぶす以外に道がないのだとすれば、それはそれで仕方がない。できるだけ長く、上手に食いつぶしていくほかない。景気が浮揚するほどではないとはいえ、日本発の商品が価値を失ったわけではない。いまだに世界第三位のGDPをもっている。1980年代半ばに4万ドルと言われていた1人当たり所得は、いま270万円ほど。7割になっている。その分周辺途上国の暮らし向きが上昇したと考えれば、それはそれで仕方がないし、悪いことでもない。いつまでも殿様暮らしができないという証明のようなことだ。

 

 日々の暮らしを安定的に行うためには、どうすればいいか。交換と消費に依存するだけでなく、できるだけ自分たちの手で物を作り、実費を支払って人の援助を仰ぎ、実費を頂戴して人のために働き、ゼイタクはせず、愉しく暮らすことに知恵を凝らす。そういうことができるネットワークを、それぞれの人たちが、多様に複数構成して、これもまた自分たちの手で運営していく。そうか、それこそが、桃源郷と描いてきたジパングのユートピアではなかったかと、思うのである。