mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

初盆

2014-08-13 19:02:58 | 日記

 今日からお盆。死者が帰ってくると言われているが、私の弟Jは、果たして家へ帰ってくるだろうか、それとも、会社の方へ戻ってくるだろうか。どうも会社の方へという気がする。それくらい、自分の会社の成り行きについて思い入れるところが強く、医師によって自分の寿命が限られた後は、何とか意識が鮮明である内に、会社を引き継いでもらえるような体制をつくろうと思案していたようであった。

 

 急死したので、その思いはあえなくつぶれてしまったが、Jの遺志を継いで会社を経営してくれる方が見つかったから、目下、立て直しというか、Jのやり方の、義理人情的というか、旧時代的なところを厳しく切り替えようと、若い女性経営者が取り仕切ってくれている。たぶんいまだ無給の状態が続いていると思うが、聞くところによると、このお盆休みも返上して仕事にかかりきりになっているそうだ。頭が下がる。「陣中見舞いをもっていかなきゃならんね」と、株主である私の長兄はつぶやいていた。

 

 私は明日から出かけるので、今日、お線香をあげに行ってきた。関東では新盆という。関西では初盆というが、当然ながらこうしたことに新米のJの奥さんは、何をどうしていいかわからないという。それでも(葬儀の後のまんまであるが)Jの笑顔の遺影をおいた祭壇を設け、花が添えられ、Jの好きであった焼酎が供えられている。線香もお鈴も用意されていて、お参りするに不都合はない。

 長兄も一緒。Jのうちの前で落ち合った。私は「大峰山・高野山への慰霊の旅 異界を歩く」に、何葉かの写真を付け加えてA4判12ページに編集しなおし、プリントアウトして持っていった。Jの奥さんの母上が四国の八十八か所めぐりを何回か済ませ高野山にも結願でお参りしているから、読んでもらえれば「異界を歩く」というのが、Jの慰霊になると思っている私の想いを受け止めてもらえるかなと、期待。

 

 Jの奥さんは、少しずつ遺品の整理に取り掛かっているようだ。遺品と言っても、仕事の関係のデータや書類は、どれにどれほどの価値があるかないかが、わからない。出版業界の人に見てもらって、価値あると思われるものをもって行ったもらうという方法もないわけではない。だが、Jのような編集者は、(たぶん)世の中にたくさんいるに違いない。それにめまぐるしく世相がかわる世界だから、果たして見てm路合っても、どれほどのものがあるか、わからないと、思う。捨てるに忍びないという気持ちはわかるが、とどのつまりは、奥さんの自分の思いで切って捨てるしかない、と私は思う。

 

 かと思うと、29年前に亡くなった父親が、それよりも43年も前に認めた「遺書」が出てきた。父が戦地に応召されて出征する前に書いて、寄留先から妻である母に書き送ったもの。でもどうして末息子のJのところにあるのだろうか。入っていた封筒の消印は昭和61年10月30日。母親が父の死後1年になる前に、「速達」でJに送り付けている。父の一周忌に、筆達者であった父の書き溜めていた条幅や色紙、日記や手紙の類を選び出して、写真に撮り、遺墨集のようにまとめたことがあった。たぶんそれに載せるようにと、送ったのであろう。それにしては、まとめるギリギリの期限である。夏に帰省していくつかを取りまとめて、東京へ持ち帰った覚えがある。こんなに期限ぎりぎりにどうしてなったか。じつは私も長兄もすっかり忘れていた。「遺墨集」にこの「遺書」や(当時5歳の)長男への手紙も、採録されていた。中身ではなく、その毛筆の筆遣いが分かるように写真に撮られたものであった。それを改めて読んでみると、当時の母への父の思いが諄々と伝わってくるようであった。

 

 推理してみると、こんなことになろうか。「遺書」と一緒に送られてきた母への手紙は、薄い和紙に筆で描き認めてある、かなりの長文。(留守を守る妻を)信頼しているから、万一のことがあっても自分で判断して取り仕切りなさい、という趣旨のことが書いてあった。母としては、宝物のように思えた父の言葉であったに違いない。だから、息子たちが一周忌の遺墨集を構想しているときにも、手元に置いて手放さなかったのではなかろうか。「遺墨集」が現実化するにつれて、それを掲載してもらうことを決断し(Jに相談して?)送った結果、「速達」になったのであろう。考えてみると、「遺墨集」は、Jがカメラマンに頼んで細かいところまで気を遣って仕上げたものであった。そんなことが、Jの死後の遺品整理で飛び出したことも、いかにも「遺品」という気がした。

 

 それを機に、長兄もまた自らの「遺品」となるものの始末をどうするか、思案していると話す。取材記者であった長兄は、各界の著名な人に取材したときの録音テープも持っている。それをいまさら、整理して内容を簡潔にでも一覧にするなどということは、とてもかなわない。と言って、そういうテープは、その著名な人の伝記を書こうと考えている人や遺族にとっては、貴重な「音源」でもある。簡単に捨てていいとも思えない、と悩んでいる。テープの録音日時と相手の名前くらいでも分かれば、インターネットで公表すると、ほしいという人が現れるやもしれない。長い間に溜めこんだ本なども、資料として使ってもらえればと思っているが、関係した大学図書館なども所蔵する余裕がなく、むつかしいという。

 

 Jの奥さんは、お墓のこともどうしようかと考えているようであった。意見を求められたが、こちらこそ、Jの墓をどうするか参考にさせてもらいたいとやりとりをして笑った。まあそんなことを、残されたものが考えて好きにしてよと、いうわけにもいかないかもしれない。ほんとうにそろそろ、断捨離を含めて、動き始めなければならないと、思った。