mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

体に聞けーー虚数の実存

2021-10-15 07:41:29 | 日記

 久しぶりに今野敏の作品を手に取った。『精鋭』(朝日新聞出版社、2015年)。警察組織の中では暴力装置的な色合いが強い、機動隊やSATを素材として取り上げている。いかにもこの作家の得意とする筆致が、警察組織全体の中で、それらがどういう位置を占めているか、それらに所属する隊員の心持ちの、なにがこの組織を支えているかを、上手に描き出している。
 一言で言うなら、体に聞け、というのが、この作家の得意技の筆致。一人の青年が警察組織に入り、交番勤務から機動隊へ、そしてSATへと移っていくプロセスを、(自分は一体何をしてるんだろうと考えながら)訓練を通して心持ちが変化していく様子と抱き合わせて、綿密に描く。
 サスペンスやスリラー的要素は全くない。だが、この「体に聞け」という描き方をとおして、読み手にとってこの小説は、とても新鮮に響く。それと同時に、訓練課程に自衛隊の特殊部隊と一緒に訓練を受ける部分があり、警察のSATと自衛隊の特殊部隊との違いが、自衛隊員と警察官の目から浮き彫りにされていく。
 とても印象深い記述に出逢った。日々訓練に明け暮れる機動隊員や自衛隊員は、何を目標に日々の訓練を続けているのか。そのモチベーションをテーマにした一節が面白かった。
 モチベーションといえば、当然のように「(国民の暮らしに)役に立つ」というところだが、機動隊が役に立つというのは、要人警護や社会的動乱の治安維持という側面が思い浮かぶ。自衛隊が役に立つというと、戦争か災害出動、海外での平和維持活動ということになる。いわば(国民にとっては)災厄が襲ってきた時の、防護、救助、救援、防衛活動であるから、その状況自体は歓迎すべきものではない。いわば、実際出動がない方が良い状況であり、出動する時は、国民に不幸が襲ってきた時ということになる。
 実際に昭和32年の、防衛大第一期の卒業生に贈った吉田茂首相の言葉が、作中の自衛隊員の口から話される。
《「自衛隊が国民からちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。言葉を換えれば、君達が日陰者である時の方が、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい」と……》
 ああそうか、と私は膝を打つ思いがした。ただ単に、憲法九条の規定に反している組織という意味での「日陰者」というのではない。前面に出て活動しないことが即ち、国民の幸せであるというパラドキシカルな存在。つまり、日常存在は虚数のような「i」。だがiの二乗は「-1」となり、実数と掛け合わせて現実態となる。「虚数」としての実存をモチベーションにして、日々の訓練に励む。
「稽古は実戦のように、実戦は稽古のように」を心構えにしているという。だが、虚数としての実存を良しとしてモチベーションにするのも、しんどい話だなあと、今野敏の描く機動隊員の心情を推察しながら読み進めた。
 でも、そうなんだ。平穏な暮らしを戦後75年続けてきて、じつはそれが良くも悪くも虚数的な存在に裏打ちされていることを等閑視していた。大きく全体構造に言い及べば、虚数の中に在日米軍という実数が幅を利かせていたことも触れなければならないが、警察や自衛隊という組織に関していえば、まさしく「i」という「日陰者」の存在にバックアップされていたと言える。
 作中では、機動隊やSATと自衛隊の違いにも主人公は触れて思案している。SATはテロに対する防護出動、自衛隊は(災害出動を別とすると)国外勢力に対する暴力装置と切り分けている。今野の言及はそこまでである。それは、組織活動の全体像を内側から見ることの限界を示していると思えた。
 要人警護にせよ、社会秩序維持活動にせよ、機動隊やSATの暴力装置は、間違いなく権力者の側に属して発動される。その力の向けられる側もまた国民であるということについて、装置の内側にいる当事者には判断の余地はない。その暴力装置のある位置が、いわば国民の(そのモンダイに関する)分断線である。アベートランプ時代の国民を分断する方向での施策や世論操作が、あからさまになって、それにどう対処するかとというモンダイが浮上する。そのときアメリカでは、「抵抗権」としての(国民の)武装とテーマが浮かび上がり、大統領選を盗んだとか、国家権力を盗んだとフェイクであろうがデマであろうが人々が結束して、騒乱に持ち込むことが常態になりかけている。日本でも現状が続くことになれば、いずれ、そうしたモンダイが俎上に上るだろうか。
 他方自衛隊の方は、災害出動を別とすると、分断線が国境によって確定されているから、外からの脅威は内的にはむしろ結束を固めるように作用する。その違いが、その組織に属するものにとっては(たぶん、いずれ)大きな影響を持つように思うが、もちろん、この作品は、そこまで踏み込んでいない。今後の楽しみというところか。


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