mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

天売島への旅(5)機能的に快適な社会システムと奇遇

2024-07-04 09:57:56 | 日記
 第4日目。4時起床。部屋にはすでに、オモさんの姿はない。窓を開けると、シラカバやミズナラの森の向こうに朱鞠内湖が広がっている。陸内のフィヨルドのように、周辺の山の支尾根が出入りするのに合わせてギザギザに、湖面の際をかたちづくっている。地図で見ると、南北10km余、東西7km余あろうか。
 誰から聞いたろうか、この湖は人造湖だという。流れ出る水を堰き止めてこれだけの大きな水瓶をつくったと。地形をみてみると、広く大きなこの湖の土地が、周りの標高300mほどの高台に取り囲まれている。周囲に降った雨や積もった雪が、あるいは解けて地面に染みこみ、この盆地に集まっているようだ。ここから流れ出る川の二カ所にダムもある。発電しているのかどうかはわからない。
 オモさんが歩いて行く。おや、ナベさんも、もう探鳥に出ているようだ。ヒグマが出るから単独では出歩かないようにと、コバさんが話していた。ま、でも、オモさんなら出会ったヒグマの方が慌てて逃げ出すかなという思いが浮かんで、一人笑ってしまう。
 5時には、朝が苦手のコバさん以外は皆さ出出歩いていた。クロツグミの声が聞こえる。ドラミングも響く。気温は12、3度か。羽毛のベストを着ていて寒くない。歩いても、涼しい。手指は寒くないし、冷たくない。
 宿は湖の南端にある。3時間歩いても、南端のほんの一部しかみられないが、でも十分というほど、森の色濃い気配を味わうことができた。素敵なキャンプ場でもある。何張りかのテントが車と共に止められていて、早朝の靄の中に静かだ。
 8時に朝食を済ませ、出発。まずは、ガソリンスタンドを目指す。シンさんがスマホでチェックしたところ、一番近いのは、17km先の士別市にある。フロントのスタッフは30kmといっていた。我が運転する車は、「残余走行距離30km」と表示されている。もちろん近い距離表示の方を好ましくおもうが、当てになるかどうかはわからない。森を掻き分けるように走り、メーターの残余距離がどんどん減っていくのを見つめながら、先導車について行く。
 あった。残余距離は13km。良かった、スマホの表示が当たった。安堵という言葉がおもいが浮かんだ。10㍑だけ入れる。リッター163円。おっ、さいたま市より安い。なんで満タンにしないのと、そのとき思った。あとで空港近くで入れたとき、リッター150円台後半。士別市より人口規模の大きな旭川市の方がガソリンは安い。なるほど、コバさんはこうしたことも十分承知ってわけか。いやはや、たいしたものだ。
 士別市から高速道を走り旭川市の南端、キトウシ森林公園へ向かう。飛行機は16時半ころの出発。空港には15時に行けば十分ということで、お昼を含め、午後もしばらくはキトウシで過ごす。
 キトウシって何だとひとしきり話題になった。謂うまでもなくアイヌ語なのだろう。紋別や女満別、然別の「別」とか、幌尻、幌加内、札幌の「幌」も、子細はアイヌ語の金田一耕助博士にでも聞かなければ分からない。現地へ行ってわかったこと。キトウシ森林公園には、「岐登牛山」546mがあった。その山懐につくられた森林公園である。
 鳥を観ながら麓から中腹にある「展望閣」まで歩く。体調の悪いコバさんと脚を痛めていたカハさんは麓で探鳥する。オモさんは、もうどこへ行ったのかわからない。保育園児の子どもたちのような声が響いていたが、どこへいったろうか。森の中を歩くのは、それだけで気持ちがいい。踏み跡もしっかりしている。途中に東屋があったが、ま、「展望閣までいって帰りにでも、ここでお昼にしようと、ゆっくりと鳥の声に身を浸しながら上る。30分足らずで着いた。
 三層の城がある。傍らの案内看板には「東川町開基八十年と圃場整備事業の完工を記念して、昭和49年に建築された」とあった。昭和49年とは1974年。何だ、ちょうど今年で半世紀ではないか。
 上へ上がる。平地が見える方向にだけベランダ様の外回廊があって、かっちりと整備された広大な圃場とその向こうに町並みが見える。
 眺めはいい。国見だねと誰かが口にし、そうだ殿様ってのは、こうして眺めていたんだと思う。と、下に人影が現れた。オモさんがやってきた。彼も展望閣に上がってきて、天下を睥睨している。お昼にすることにして、3人は座るところのある下へ降りていった。残る3人は(立ち見ながら)国見をしながらお昼を摂ることにした。12時少し過ぎ。
 いや、気分がいい。
 12時半頃に下山開始。途中で声高く鳴くオオルリをみているとき、麓のコバさんから電話が入った。クマゲラが出た、今、すぐ近くの目の前にいるよ。早くお出で、神社の傍という。神社ってどこにあったっけと地図を広げるシンさん。あっ、ここだここだ、ならばこの道を下ろうと、舗装路から上ってきたルートへ踏み込み、どんどん下る。
 やがてコバさんとカハさんの姿を見つけた。クマゲラの姿はない。だが、ほらっ、ここにいたのよと指し示す木の切り株には、無数の穴がほじくられている。近くの株は、横側もふたつ大きく崩れ、キツツキが虫を探して掘り返した跡にみえた。近くでは木の伐採作業をしていたから、チェーンソーの大戸が囂しい音を立てていたろうに、クマゲラは構わず、餌を求めてしばらくそこにとどまっていたのだそうだ。手近の木の切り株は、そのように彫り出された形跡を残していた。子育て中なんでしょうねと、誰かが言う。ということはこの近くに巣があって、往き来してるんだ。
 こうしてキトウシ森林公園で2時過ぎまで過ごし、空港へ向かった。ガソリンを入れ、車を返したところで私は、事故の始末をしなくてはならなかった。コバさんが立ち会ってレンタル業者と話し、あとは私が残って業者と共に空港警察へ行って、事故の受付と報告をする。私が撮ったデジカメの写真を「証拠写真」として警察官に渡す。あいにく転送するPCがなかったために、警察のデジカメで私のモニターを写し、大きくするのにはこちらがいいからと、警察官の個人所有のスマホで写した。警察官は、私の電話などを被害者に伝えることなどの了解を求め、私の乗る飛行機の出発時間を気にして、テキパキと処理してくれた。こうした事故保険や補償システムとその処理の仕方がパターン化されていて、機能的に始末されていくのは、事故当事者の心持ちを和らげる上では、ほんとうに見事だと思った。レンタカー会社の担当スタッフも、同乗者の氏名座席位置などを聞くために空港ロビーへ足を運び、ご苦労をかけていた。
 その日家へ帰り着くころ、空港警察官から電話があり、被害者はレストランではなく、足場を組んだ業者。そこにも電話を知らせていいかと了解を求めてきた。むろんいやも応もない。だがその後、レンタル業者からも警察からも、レストランからも電話がないところをみると、事務処理的に始末は付いたらしい。ありがたい。
 こうして、天売島への旅は終わった。疲れが3日ほど尾を引いたことは、冒頭に記した。
 留守中に来ていた郵便物を開いてみるのも、翌日以降になった。だが、その一つを開けたとき、何とも奇遇というか、不思議な因縁がまつわっているような気分を味わうことになった。それはまた、後に記すことにしよう。

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