mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

第21回Seminar開催――これからの私たちの「誇り」のありか

2016-07-24 15:09:53 | 日記
 
 昨日、第21回aAg Seminarが開催されました。お題は「私たちの戦後71年」。戦中生まれ戦後育ちの私たちにとって、戦争体験は敗戦体験と重なっています。さらに敗戦体験は、当時「新憲法」と呼ばれた現在の日本国憲法の施行とも重なっています。いま、保守派の方々は、「押しつけ憲法」と非難していますが、私たちにとっては、いつ知らず身体に刷り込まれたアイデンティティの一角をなしています。「押しつけ」という非難は、したがって私たち自身のありように向けられた非難のように感じられます。
 
 いま振り返ってみると、そのとき身体が覚えた戦争体験や敗戦体験は、その後の私たちの暮らしの原風景ともいうべきものでした。そして「敗戦」を拒むというものではなく、むしろ「二度と戦争はいやだ」という思いも込めて、「新憲法」の前文が含んでいた人類史的な輝かしさとともに、私たちにとっては「誇らしさ」をなしていました。むろんその当時の憲法をGHQによって押し付けられたと非難する人たちは「敗戦」を受け容れることが出来ないのでしょう。だが、戦争に敗れるということは、それまでの価値軸を転換させることを受け容れることを意味していました。
 
 「新憲法」は、その後の朝鮮戦争や冷戦の進展とともに、いろいろな衣装を着せられて、ずいぶん施行当初の思惑とずれてしまい、薄汚れているようにみえます。憲法の前文に掲げられたことばは、いまは空虚に響き、むしろ現実には、「戦力ではなく実力」と呼ばれる自衛隊や、海外派兵すらも可能とする集団的自衛権が幅を利かせる事態が現出しています。「憲法の精神」などという「理想」すら、ほとんど信ぴょう性をもたなくなっているようにみえます。それとともに(あるいはそれに先立って)、現実世界の秩序は徐々に混沌の様相を色濃くして、もはや第二次大戦終了ころの「もう戦争はいやだ」という共通感覚を(国連を通して)世界が共有しているような情勢が消え失せてきています。
 
 さて、そういう71年の変遷が、どのような径庭をたどって今に至ったのか。それを概観してみようというのが、今回Seminarの「お題」でした。三部構成になっていました。
 
 第一部は、《私たちの「戦争体験」――「新憲法」第一世代としての私たち》として、乳幼児時代の「戦争=敗戦体験」が無意識に刻んだことはどのような意味を持ったかを問うものにはじまり、ものごころつき始めた小学校時代から高校時代までの「憲法体験」でした。はじまりは、子どもが一体感を感じて育んだ世界まるごとですから、戦争の悲惨と敗戦の混沌、大人の自信喪失と生活に追われる忙しない日々、それが子どもに反映してある種の自由さの気分をつくりだしていました。
 
 細かく腑分けしてみると、大人たちは国家と社会を分けて考えるようになっていました。子どもは、社会の中にある差別や社会階層を感じとり、あるいは私たちより少し上の世代が口にしていた天皇制に対する侮蔑的なことば(「朕はたらふく食ってるぞ、汝臣民飢えて死ね」)など、戦前社会の大人たちの規範に対する反抗的な気風が(その意味するところを自覚することなく)覆っていました。ものごころつき始めて、自分の使っていた言葉の根拠を吟味しはじめてみると、国家支配層の二枚舌を感知し、松本清張の小説『日本の黒い霧』に描かれた出来事を、裏側の政治世界としてとらえる世界観をいつしか身に備えてもいました。言うならば、私たちのアイデンティティの形成期であり、それ自体がきっちりと整除されたものではなく、混沌とした要素を同時にはらんで、正義や真理の道筋がどこになるかをいつも我が身に問いかけてくるものでした。その導きの意図になったのが、「新憲法」の提示する、基本的人権、民主主義、平和主義であり、憲法前文の語りだしている「理想主義的な国際関係構築」への主体的な意識だったと言えます。
 
 第二部は、《世界の変容――冷戦、冷戦の終結と「帝国」、そしてアメリカの衰退》という、戦後69年の世界の変遷を一挙にたどってみるものでした。GHQの占領時代、朝鮮戦争と冷戦の始まり――それに伴うアメリカの極東戦略の変更と日本政府の応答、そこに生じる「ねじれ」。憲法の戦争放棄・戦力不保持の方針とそれら矛盾する(のちの)自衛隊、日米安保条約による米軍の駐留継続、の法的根拠である、1959年末の最高裁判決――超憲法的な法的規制力を持つ安保条約(日米行政協定/日米地位協定/日米合同委員会)がどっかりと根を下ろして、日本の政治家も官僚をからめとる行政の軛。それに、いまもがんじがらめに囚われて、超憲法的に行政の日常を処理してやまない現実の日本をみて、果たしてどこに「誇らしさ」を感じていたのかとあらためて、憲法前文と比定して慨嘆するほどでした。
 
 しかも、冷戦が終結し、パクス・アメリカーナの時代が幕開けしたかと思おうまもなく、アメリカの衰退がはじまり、それと同時に、中進国ロシアや中国の興隆が見られるとともに世界秩序の再編成を要求するそれらの国々の振る舞いが旺盛になり、他方で、もはや国民国家の枠組みにとらわれない「反抗」がテロの形で噴き出してきはじめました。いまヨーロッパもアメリカも、世界中を舞台にしたテロの反撃とそれの制圧が熾烈な争いになっています。
 
 問題なのは、もはや第二次大戦後の国連が共通主題として取り組んできた「安定した世界秩序の創出」というテーマは後景に退きつつあります。そしてそれに反比例するように、各国とも自国利害を前面に押し出して(あたかも第一次大戦の開始時期のように)帝国主義的な振舞いをためらわないようになりつつあることです。ヨーロッパの移民排斥もそう、アメリカの大統領選の口舌もそう、中国の南シナ海をめぐる振る舞いもそう。逆に、G20の会議やさまざまな国際機関、国連の各種機関、核拡散防止に関する国際機関の動きなどは、かすかに国際連携のかたちを残して繋がっていますが、それらがどれほどの力をもてるのか、危惧と期待とが交錯していると言えます。
 
 こうして第三部で、《私たちの現在とプライドの根拠――もはや私たちは「終わった」のか?》と題して、上記のような世界の中で、私たちはこれから何を「誇り」として、世界に対していくことが出来るかを、考えてみようとしました。じつは、そこに踏み込むには時間が足りなくなってしまいました。いずれ機会をみて、別の角度からアプローチしてみようと思います。
 
 とりいそぎ、昨日のSeminarの概要を記しました。これまでにこのブログで書き記してきたことが多く含まれています。折をみて、古いブログ記事を検索してご笑覧いただければ幸いです。

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