mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

前菜(2)存在と振る舞いに目を留め、そして「赦す」心性

2024-09-11 05:04:56 | 日記
 Kさんに宛てた準備メール「前菜(1)」のどこを読み取ってもらいたかったか。2点あります。
(1)言葉に目を向ける以上に、身の動きに心を傾けよ。
 Kさんの文章を読んで、ワカラナイことがいくつもありました。経験している現場の違いなのかもしれませんが、それ以上に、Kさんが(自分の)言葉に振り回されていると感じたのです。
 言葉よりも振る舞い。理解するかどうかよりも、日々繰り返し同じトーンの行動をとることが、生徒には身の習いとなって無意識へと習慣化していく。言葉はなくとも、そうした振る舞いの醸し出す「関係」、気風といったものが、場を落ち着かせ、心持ちを安定させてゆく。そこに目を留めて思いを凝らすのが、心身一如。そう私は考えて仕事をやってきたなあと、おもいました。
《……これは「何も考えない」ことではありますが、身に染みこんだ無意識の声を聴くことだと思い当たり、「躰に聞け!」と言っているからです。躰を動かすことは、無意識の身の声を意識と結び合わせるきっかけとなります。私は動物になることと(抵抗なく)思っていますが、意識を言葉にして表現するヒトのワルイクセは、意識や言葉だけが身から離陸して、空中浮遊してしまうことです。それを身に引き留める媒介をなすのは、人の身体に刻み堆積している無意識を呼び覚まして、心身一如を(身を以て)体現すること。つまり躰を動かし、躰の声に耳を傾け、身と心との乖離を意識して、身に刻んだ人類史的堆積という無意識に辿り着くことと考えています。》


(2)わが身に全人類史を感じること。
 Kさん自身が混乱しているのではないか。そう感じました。「教師仕事がブラックになる理由」を、生徒や親や教師相互の意見の違いや教育行政との齟齬がもたらす混乱にもとめているように、Kさんは記述しています。だが、じつは混乱しているのはKさん自身であって、生徒や親や同僚教師や管理職が、彼が認めがたい、さまざまな言説を用いて引っ掻き回している。もっとみなさん、「本当の」「正しい」ことに気づいて目を向けてくれれよ。そうすれば、現場の混乱は収まると言いたいようです。しかし、彼自身の理念をいくら説いても、たぶんそれは、ふ~んと聞き流されているか、無視されてしまうのではないでしょうか。なぜか。彼自身がその当事者になっていないからだ。彼の無意識が、彼と他の人々との間を隔てている、と感じました
 そうじゃないよ。まず向き合っている人たちの振る舞いや言説はそれぞれに、それなりの「合理性」を持っていると、まず認めること。その「合理性」を、自身の考える「合理性」と付き合わして、言葉を交わすに相応しい、共通の場をつくることからはじめなければならないのではないか。その間には、彼自身の「しこう(嗜好・思考・志向)」を意識して吟味している作業が挟まります。それがない。そう思いました。
《……わが身が人類史であり、わが身は生き物であり、イイもワルイもことごとくわが身の現在に集積されていることを表している。そしてそれを「赦す」ということは、人類史をことごとく受け容れるという響きをもっている。非道いことも、ヒトっていうのはそういうコトをして生きてきたんだと、我がことのように身の裡で反芻する。すると意識の上では、未来に向けて修正していく思いが湧いてくる。》
 ワタシ自身がおもう真正の問題に向き合って行くというのは、全人類史を我がことと受け止める感覚がなくてはできません。エラそうに大楊に構えて上から目線で「赦す」と言われても、それは他の人に訴える力を持ちません。ひたすら自身のモンダイとして受け止め、なるほどそれはワタシもそう言いたくなるわと響き合う感触を醸す。これが加藤有希子さんのいう「赦す」だと思います。
 八十路爺になって、やっと私も中動態の入口から、イイもワルイもみな我がことと受け止める心境になっています。20歳ほども若いKさんに、少しでも感じてもらえると、いいなあと願っています。


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