mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

遺品の手紙が伝える因縁

2015-07-02 16:47:04 | 日記

 司馬遼太郎『韃靼疾風録(上)』を読了。読みはじめたとき「風雲録」と書いたが、「疾風録」のまちがい。こういうはやとちりを、いまだにしている。司馬が主人公に仮託して、女真の地へ旅をするような風情だ。考えてみると、小説を書くということは、「史料」の読み込みからして、旅をするようなものだ。しかも司馬は、「史料」の(たぶん)漢語で書かれているものを、和語に置き直して(つまり、自分の身体を通すようにして)書き落としている。そのときに、著者の持つ感情や感覚、何に眼をつけているか、どのようにものごとを呑み込み吐き出しているかが、言葉にくっついて現れてくる。そのやわらかさ、しなやかさ、こまやかさ、その髄の勁さを感じながら、満州やモンゴルにつづく荒野を思い浮かべてよみすすめた。そう言えば、いつか司馬遼太郎は大学でモンゴル語を勉強したと言っていたように思うが、違ったろうか。いずれにせよ、小説としては(下)巻を読み終わってからですが、まだ手元に入っていません。

 

 雨の中、昨日は北海道の山行に同道するKさんとコーヒーを飲みながら、細かいところの打ち合わせをした。彼は車で行き、新千歳空港で合流して入山、幌尻岳と十勝岳に登ってまた新千歳空港で解散。そういうわけで、大きな荷物を車に積んでいくよと、その受け渡しの日などを相談し、帰りに積んで帰ってもらって、その荷をいつ受け取るかを相談した。ところが、夏休みのお盆にかかるとあって、その日程がうまく調整できるかどうか。と、宅急便で送るとKさん。そうか、それなら彼に託さないで、空港から宅急便にして送ればいいと、話しをまとめた。家に帰って、その話をしていたらカミサンが、「その方法を知っているか」という。何のこと? 荷物を搭乗機のカウンターにもっていって預けるときに、「宅急便の宛名書き」したものを同時に渡しておくと、飛行機を降りてから受け取らないで帰宅しても、翌日くらいに荷物が届けられる、料金は1000円という。なんだそうか、それはいいとなった。

 

 じつは、搭乗するのは帰宅する日の最終便、成田空港の第3ターミナルに22時着の予定。京成線は10時34分が最終便、JRも東京行きが11時03分。JRだと赤羽までしか行けないが、その先15kmほどをタクシーにして帰ることはできる。つまり荷物を受け取っている暇はないので、どうしようかと心配していた。そうしたコンビニエントな手段があるのは、なんともうれしい。

 

 先月受けた「健康診断」の結果を聞きに病院へ行く。1時間以上待たされている間に、上述の本を読んでいたわけ。結果は昨年とほぼ同じ。「逆流性食道炎」のことをまた言われた。胸焼けという自覚症状が出たらでいいかと聞いたら、う~んと考え込んでいる。試しに飲んでどうってことなかったら止めてもいいのかと聞いたら、それは何でもないという。それで、30日分だけ薬をもらってきた。これを飲んで自覚症状が出るようになったら、ヘンだよなと思いながら、今日から飲みはじめた。心臓のことは昨年同様、かかりつけの専門医に聞けと言われた。痛みが来たら病院へ来なさいというわけだ。まあ、また一年間の、身体保証を得たようなものだ。

 

 今朝は8時から女子サッカーの準決勝を観る。イギリスは似たような選手がいて背が高い。苦戦すると思っていた。得点してから、攻め込みが甘くなる。守ろうとしているわけではあるまいに、相手ゴールに迫れない。キーパーが出てきてボールを蹴るがわざとのようにラインを割って飛ばしてしまう。コントロールが利いていないのか。同点にされてからは、押し返す力が落ちている。これは後半で追い抜かれてしまうと思っていた。だがなんとか持ちこたえて、これは延長戦だなと思っていたら、ほんとうに幸運にも、相手選手のクリアボールがバーに当たって入ってしまうオウンゴール。泣き崩れる相手選手が可哀想で、勝った勝ったと喜べない。でも、イギリスでよかった。いつだったか、ブラジルかアルゼンチンの男子オウンゴール選手は自殺したのではなかったか。

 

 午後、亡き母の「祈念誌」の取り残した写真を撮る。日記やノートを風呂敷の上にひろげて、扇状にしたり、一部は中身が見えるように置いたりして、パチパチと写す。晴れているよりは曇り空の明るい陽ざしがいいだろうと、和室の障子紙越しの光を使ったが、どうも納得できる構図にならない。まあいいか、素人写真だと自分を見切る。

 

 写真の合間に、末の弟の遺品の一部である、母や兄弟からの手紙が出てくる。昨年亡くなった長兄が26歳頃だろうか、やはり昨年4月に亡くなった、中学生の末弟に宛てた手紙が、剥き出しであった。末弟のJは、これを読み返して励みにしていたのだろうと思った。

 

 J君 忘れていたわけではありませんが、誕生日のお祝い遅れてすみません。お母さん宛におカネを送りますから、貯金するなり、好きなものを買うなりしてください。/この春でもう中学二年だな。将来どんな勉強をするうえにも、今がいちばん大切な時期だと思う。やさしいことがらでもあまりバカにせず基礎をガッチリ固めるようにして下さい。もう一つ。立派な人間になるためになにより重要なことは、豊かなこころの持ち主になること。どんな人が豊かなこころの持ち主かということはひと口ではいえないけれど、やがてわかるようになると思う。学校の勉強をするばかりでなく、先人の書いた小説や詩を読んでゆくうちに、だんだんそれが分かるようになると思う。/カラダに気をつけること。交通事故にあわぬようこころがけること。  二月二十四日

 

 ほんとうに長兄としての敬意を、終生弟たちから受けるに値する心遣いがこもる。何だか、2人が同じ年に逝ってしまったのも、因縁があったのだろうかと思わせる。  


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