mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

幸運頼りの限界が見えた

2020-08-06 14:19:36 | 日記

 一昨日(8/4)から越後の巻機山へ行ってきた。梅雨が明けても関東地方を取り囲む山岳地域は、雨の日と曇り・晴れの日が交互につづき、テント泊しての山行には適していない。やっと巻機山辺りの天候を見つけて、足を運んだ。
 午後1時前に現地のテント場に着いた。コロナウィルスのことがあったから、事前に電話を入れた。「来てください。テント場と登山口が離れているので、駐車料金を二重に支払わなくていいように引継ぎの管理人にいっておきますから」と親切であった。実際到着したのが早かったのに、入場料と駐車料1100円だけの一日料金。
 山間の平地を上手に使ったテント場は、調理場があり、水洗トイレもあり、見上げると両側から迫る緑の稜線の中央に割引岳の山頂が鎮座する、沢音が絶えない草地であった。夏の日差しが降り注ぎ、大木が日陰をつくっている。大きなブルーシートを敷き、テントをたて、マットと寝袋を入れ、テント前のブルーシートのあまりに座って、持ってきた赤ワインを空け、読みかけの小説を開き、おつまみのビスケットをお昼代わりにして、ぼんやりと時を過ごす。これだけでここに来た甲斐があったと思った。
 
 2時間ほどたったころ、一台のハリアーがやってきて、20メートルほど離れたところに停まる。70歳ほどのご夫婦。高知ナンバーだ。挨拶を交わす。「いや、私のカミサンの里が梼原でね」と私が応じると、ご亭主は宿毛、連れ合いが高知市、住まいのある高知から鳥海山にいき、帰りにここに来た、明日巻機山へ登るがよ、と言葉がつづく。念願の鳥海山をやっつけてきたという喜びにあふれる声をのせる方言が好ましい。飲み残したワインですがどうぞとすすめると、奥さんも飲めるという。山談義をするうちに、司牡丹が加わり、ビールも入る。1時間半ほどお喋りをしていたら、雷が鳴り、小粒の雨になって、お開きとなった。
 
 夕食に取りかかる。赤飯とレトルトのカレー。お湯を沸かしながら二つのパックを温め、皿に盛りつけて頂戴する。あとで食べ過ぎたと反省する。何しろ、一合の赤飯と二人分のカレーパックを一時に食べたのだ。ふだんの倍を胃袋に収めた。先にお酒で膨れていたところが満杯になり、腸へ送り込むのに、ずいぶんと手間取っていた。ひんやりするほどの気温にはずいぶんと助けられた。
 
 目覚ましより30分も早く目が覚め、朝食の準備をする。ハリアーの人たちは車の中で片づけたようで、「お先に」と言って出ていった。食事を終え、テントをたたみ、車を登山口の駐車場へもっていく。靴を履いて出ようとしたところへ、ハリアーのお二人がどこやらから戻ってきた。トイレにでも行っていたのだろうか。今度はこちらが「お先に」と挨拶をして出発する。駐車場には3台ほどが止まっていた。私の前を一人細身の若い人が早足で歩いて行った。登山口を入ってすぐに、道が二つに分かれる。右が巻機山への一般道、左が沢沿いを上るルート。その沢沿いのルートは、30分ほど上で、二つに分岐する。左が割引沢沿いのルート、右が上流で割引沢に合流するヌクビ沢沿いに上る。私はヌクビ沢沿いを上って一般道を下って来るルートを予定していた。9時間ほどのコース。
 
 ところが沢沿いへのルートは、竹藪を切り拓いて道はつくっているが、水が流れ、人の歩いている気配がない。私の前を行った若い人は、この沢沿いルートの方へ踏み込んだから、私もそのあとを追ったのだが、たちまち姿は見えなくなり、足元は怪しくなってくる。やはり30分ほどで分岐に出た。その標識には「←割引沢・ヌクビ沢 避難導→」とある。避難道というのは、どういうことだろうと思い、ヌクビ沢へ行くのだからと左の道へ踏み込んだ。これが今日の、そもそもの間違い。「避難道」というのが、ヌクビ沢と割引沢の合流点上部につながるルートであり、私の当初の予定なら、そちらに踏み込み、上流の合流点からヌクビ沢沿いの道を上るのであった。つまり私は、割引沢のルートへ入ってしまったのだった。
 
 空は雲がかかり、陽ざしが差さないから、明るいが暑くない上りとなった。沢の石伝いにところどころ赤マークを追って上る。大きな石の上に濡れた踏み跡がついているのは、先行する若い人の足跡なのだろう。このところの雨もあって、水量は多い。沢を渡るところも、流れの水を集めて激流になっている。石伝いの徒渉も、靴を濡らさないわけにはいかない。赤マークが途絶える。上へ向かいながら、徒渉点を探す。向こう岸に笹を払った場所がある。そちらへ徒渉する。沢は水が多く、岩の間も広くなってとても渡れない。笹の踏み跡を探すと、緩やかに川から離れる。
 だいぶ高い地点で、川の右岸の大岩の上にでる。何枚かに分かれた岩が斜めに積み重なり、その切れ目を辿るようにトラバースする。ところどころに苔が生えている。岩の切れ目に草もつき、土も見える。その先には、上部から流れてくる水流が岩の表面を覆うようにサラサラと流れ下っている。滑りやすく危なっかしい。
 もう少し上へ行った方がいいか。先の方へ眼をやると、岩に着いた赤マークが見える。そこへ行くのも、ちょっと上の草付きの傍を辿った方がよさそうだ。そちらへ身を向けて踏み出したところ、つるっと足が滑った。身体が岩に張り付いてずるずると下へ落ちる。なんとか身を持ち応え、少ない岩角の尖りに指をかけて足場を探す。ふう~。おさまった。そろそろと身をたて、乾いた岩の上を探して足を乗せ、ゆっくりと上部へ移動する。そこからトラバースする。大きく広い沢がカーブしている地点の30メートルくらいの高さに来る。その先は標高差50メートルくらいの滝になっていて、とても手がかり足掛かりがあるとは思えない。これは絵になると思い、カメラを取ろうとしたら、入っていない。一緒に入れてあった飲み水のペットボトルはあるのに、カメラがない。さっき体が滑り落ちたときに、カメラは落ちていしまったようだ。たぶん、つるつると岩場を滑り落ちて、激流のなかに落ちてしまったのだろう。ま、わが身が落ちなかっただけ、幸運だったと思わねばならない。
 
 岩場の上は草が付き木々が生えている。大雨で流されたような土がついて、あたかも人の踏み跡のようにみえるが、地図を見る限りでは、沢からそれほど離れてルートがあるとは思えない。一度上に登る。ふと見ると、下の滝横の岩場に赤マークと鎖がついている。ああ、あそこかとそちらへ向かう。滑りやすい岩の裂け目に足を置いて、身を低くしてそろそろともう片方の足を降ろす。こうしていったん沢の下部にまで降り立ち、鎖のついた岩に取り付くが、その先が、途絶えている。とりあえず鎖の上部にまで上ったが、その上は灌木が群生している。でも、これを突破しなければ、ヌクビ沢の出逢いに辿りつけない。
 えい、ままよと、灌木に突入した。灌木の木の幹は、多量の降雪に押し下げられ、下向きについている。身体にじかに突き刺さるように向かってくるから、それをかき分け、その間に身を入れ、幹に足をかけて乗り、身を持ち上げて上の幹をつかむようにして、這い上がる。リョウブの木があった。ハンノキの仲間がびっしりとついている。ツツジやシャクナゲの木々がところどころに混じる。やっとハンノキがなくなり、シャクナゲに変わった。これがまた厄介であった。シャクナゲは体をぜんぶ預けるほど幹が太くはない。ハンノキは腰掛けられた。身を休めるのにはちょうど良かった。シャクナゲは乗ることを拒むかのようにしなり、でも上へ動くのを嫌うように身の前に立ちはだかる。
 
 空が見えてきた。やっと滝の上に出たと思った。シャクナゲは灌木に変わり、ハンノキの仲間もツツジもオオカメノキも名も知らぬ木々がある。沢の方へ近寄ると、前方の沢が見える。そろそろと沢に近づきながら、木を乗り越え、木につかまり、身を下へ降ろしていく。下の沢が見えるが、果たしてそこまで木につかまって行けるかどうかはわからない。木の幹がだんだん細くなる。大きく撓んでずるずると身を降ろすには好都合だが、その先につかまれる木があるかどうかもわからない。ふと身の前に目をとめると、岩が剥き出しになっている。つかまっている木も、岩場の間に根を張っているだけ。私の体重を支えられずに、スポッと抜けてしまうかもしれない。大きく下向きに伸びている木の幹をつかんで、降りようとしたところ、幹が大きく撓み、私の身がずるずると降りていくとつかんでいる手に体重がかかり、今度は手が幹をつかんでいられなくなる。すぐ脇の草をつかむが頼りなく身の支えにはならない。ああ、落ちると思ったとき、ほんの1メートル下が沢であることに気づいた。
 たすかった。ちょっと尻もちをついただけで沢に降り立った。

 沢を少し登ると、赤マークがあった。赤マークは徒渉するようについている。そちらへ行こうとしてかけた石がごろりと転び、水の中に落ちた。すぐに立ち上がり向こう岸に渡ったが、その先に岩が立ちはだかり、すすめない。また渡り返す。そのまま進むと、向こう岸についていたマークの突き当りに、「←割引沢・ヌクビ沢→」と大岩に大書した箇所があった。ここからが一般道との合流点に出るところだ。こうして、ヌクビ沢ルートの、当初予定登山ポイントに着いた。7時20分。当初の予定コースタイム通りならば5時50分頃に通過するところを、1時間半も余計にうろうろとしてしまった。そこから山頂にむかい下山するまでのコースタイムを計算すると、あと7時間.ほどかかる。どうするか、ちょっと思案したが、今日はここまでにして引き返すことにした。
 
 その時の心もちをいま振り返ると、こんな感じになるか。今日は、ラッキーであった。岩場で滑り落ちなかったこともそうだが、沢に降り立つときにつかまった木がしなり、わが身を手が支えきれなくなったときに、ちょうど地面があとわずかであったという幸運が重なった。カメラが犠牲になったとはいえ、道なき道を行く様な山歩きが、そろそろ私の限界点を越えていると教えているようであった。むかし二度ほど来たことのある巻機山が、こんなになっているとは、思いもよらなかった。だがルートが様子を変えていたというよりも、私が変わってしまっているのだ。
 こうも言えようか。これまでは、さまざまな幸運に恵まれて山を歩いてきた。危ないこともないわけで測ったが、大きなダメージを受けることがなかったのは、まさに幸運としか言いようがない。それがあったから、今回の巻機山のルート選定も、上りに一部沢沿いのルートを取り、下山に一般路をとるとした。だが、私自身の力が落ちている。それを今回の沢歩きがわが身に知らしめた。それを肝に銘じただけで、今日の山行は十分と思ったのであった。無事であったからいうのだが、面白かったのは慥かである。
 
 そこから一般路を引き返した。これが一部崩れていて、結構歩きにくい。沢沿い道との分岐から、上りに50分というコースタイムなのに下山に55分もかかってしまった。一カ所足の置き場に困ったところで、滑り落ちて、またいでいた木の幹に腰かけて止まるようにして、滑落を防ぐことができた。さて、どうして身を起し、向こうのルートに渡るか、ゆっくり考えながら左脚を引き寄せ、尻を後ろへずらし、右足を前の幹に乗せて、左手で上の草の根をつかんで身体を山向きに変え、左足を木の幹に乗せて右足を前へ移動した。こうしてどうにか崩落部分をクリアしたが、もし落ちていたら何十メートルかの灌木と草付きを滑り落ちたに違いない。これもラッキーであった。
 こうして沢との分岐に出て振り返ってみると、上りのときに「避難道→」と記してあった地点であった。ここでの間違いが、私の力の限界点を教えることになったのだと思った。
 実はもう一つある。一般道との分岐に来て、振り返ったとき、左の端に看板があるのが目に止まった。そこには「近年の大雨などのため、割引沢、ヌクビ沢のルートは崩落したり、岩が崩れたりして、ルートが消えています。経験者及び、十分な装備をして入山してください」と書いてあった。ここを通過するとき、目の前を歩く若い人の姿に気を取られて、この看板が目に入らなかった。
 
 沢に落ちたこともあって靴ばかりかズボンもしっかり濡れていた。駐車場には20台ほどの車が駐車していた。六日町の温泉で汗を流してから帰宅した。風呂に浸かり、山と私のかかわりの大きな転機に直面しているという感じが、身の裡から湧き起って来た。
 関越道をさかさかと走り、12時半ころには帰着した。お昼をとると、眠くなって運転ができないと思ったから、すきっ腹に水を飲みながらハンドルを取った。スムーズな走りも気持ちが良かった。
 
 そうして今日、大殿筋が痛む。左肘が腫れている。左膝もどこかへぶつけたか、痣ができている。油断すると腰がグキッときそうだ。太ももも張っている。いつもの山歩きならもう少し後に出てくる疲れがもう表れ始めた。そういう特徴をもった山であったと、いま思っている。


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