mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

はて、さて

2024-05-05 08:20:25 | 日記
 脇道に逸れて「何処へ向かっているのか、ニホン丸」とぼやいていたら、「マル激トーク・オン・ディマンド」に登場した吉見俊哉が《今こそ日本を立て直すための「プランB」を実現しよう》とお喋りしているのが目に付いた。といっても今は、神保哲生と宮台真司を交えたお喋りを聴くほど、根気が続かない。2000字ほどの「概要」を読んで、さて・・・と考えている。
 NHK朝ドラの主人公が、外に向けて自問を発するとき、「はて・・・?」と独りごちる。あれは、法制度とか法曹界の常識と庶民の社会感覚とのズレるポイントを示している。だがこのお喋りで吉見俊哉がズレているというわけではない。むしろ問題の的をうまく射ているなあと、その表現の感触を受け止めている。
 そこでワタシは「さて・・・」と独りごちる。
 吉見俊哉のお喋り「概要」の要点は、ふたつ。
(1)戦後日本のこれまでをプランA、これから進むべきあらまほしきニホンをプランBとよぶ。プランAと自民党政治は表裏一体の関係にあった。その過程で「裏金なくして自民党政治は成り立たない」体質が醸成されてきた。
(2)戦後復興のプランAの核心は量的な成長・拡大を志向した途上国モデル。プランBの核心は自ずと成長・拡大モデルを捨てること。
 なるほど、こういう表現の仕方が「わかりやすい」メッセージなんだ。感心する。プランBの「概要」を言葉にしていないのが、また、うまい。
 プランA実現の「最大の理由は、空前の人口ボーナスと内政と経済活動に集中することが許される特殊な国際情勢」。その象徴が、東京一極集中と霞が関のエリート官僚主導の上意下達方式。進行した中味は、「効率。結果は、空洞化した人間関係」という。プランBでは、象徴と中味の双方をやめなければならない。消去法で未来像を表現するところが、にくい。
 ふむふむ、こういう分節化もまた、きっぱりしている。これらはワタシの状況認識と概ね重なっているから、表現の仕方、切り分け方に感心しているわけだ。
 ではプランBをどのように実現していくか。となると、「マルゲキトーク」を聴かなければならない。もちろん聴いても悪くないのだが、ここでワタシは「さて・・・」と自問する。ワタシは、このテーマに関して、どういう立場に立っているのだろうか。それを見極めておかないと、いつの間にか戦後の政治経済を俯瞰する神の目のようになって考えてしまいそうになる。
 その初めのちょっとしたズレは、ほとんどワタシの無意識の共感性によって引き起こされている。山頂で落っことしたおにぎりが転がるように、最初のちょっとしたズレは先へ行けば行くほど大きな違いとなり、気づいたときには見当違いの方向へ来てしまっている。そういうことは、しばしばあった。もはや引き返すこともできず、それまでの遣り取りを全部チャラにしなくてはならなくなる。
 こうしてワタシは、用心深くなった。外からの情報受け入れに用心深くなったのではない。自分自身の「しこう(嗜好・思考・志向)」に用心して、一つひとつ意識して取りかからなければならないと思うようになった。
 吉見俊哉との座談は《21世紀の日本にとってのプランBとはどのようなものでなければならないのか、そしてそれを実現するために、われわれは何をどう変えなければならないのか》と要約して開始されている。
 はて・・・? ワタシは、その座談の話題に、何処から取りかかれるか。(神の目が語り合う話に)容易に共感できるわたしって何よ?
 さて・・・、市井の八十爺である私は、その話題のどういう当事者なのか。門前の小僧がその都度通らなければならないゲート。「はて、さて」である。

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