mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

私的感懐という「せかい」の山

2018-07-12 06:10:32 | 日記
 一年前の記事が送られてきて、そうか、こんなことを書いていたかと振り返っている。これに気づいていれば、4月にまとめた「孫たちと爺婆の二十年」に掲載したのにと、いまさらながら思う。すっかり忘れていたのだ。この角度から切り取ると、人がいかにして人になり、「せかい」を身につけて歳をとるかと、まとめることができる。もちろん一般的にはそういうふうにまとめた方が私の「世界観」が浮き彫りになる。でもそういうふうに、屋上屋を重ねることが世の中に意味があるとも思えない。もしまとめるとしたら、「私的感懐」として上梓することになろう。昨日ひとつ山を歩いてきたが、私的感懐という世界の山を年寄りは歩いてきているのだと、記しおくのも悪くはないか。そんなことを、いま思った。
 
「時の密度」が薄くなるということ

  歳をとると時が早く過ぎると思う。私は一年の長さが年齢分の一で過ぎ去ると考えてきた。ふとある時、それを逆の方、つまり暮らしにおける「時の密度」として考えると、私たち年寄りは年......
 

 


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