mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

自律の余白

2024-01-08 06:26:59 | 日記
 昨日(2024-01-07)のブログ記事の最期に、自律的なコミュニティ形成の「思い付きのイメージ」として《「暮らしの単位」を、空間的に狭めるのではなく、関係的に狭める》と記しました。その時「空間的に狭めるというのではなく」にこだわって、「せめて人口10万~20万人」と規模を設けたことに、ガツンと一撃を食らわすような記事が同じ日の毎日新聞にアップされていました。
《商店ゼロ、香川沖「さぬき広島」の磁力》です。
 香川県丸亀市の沖合、塩飽諸島の一番大きい島・さぬき広島に起こっている新しい動きです。人口150人、15歳未満の子どもがいないこの島に、移住者が増え、来春小中学校が再開されるというのです。
 子細は当の新聞記事をお読みいただきたいが、コロナ禍の所為もあってリモートワークがおこなわれるようになった。それをきっかけとして移住者があり、企業の支援や市の梃子入れも入って、島を訪れる人が増え、畑の小麦栽培も200キロほどを収穫するようになったという。
 こういう記事を目にしてワタシがホッとして悦んでいるのを感じる。どうしてだろう。ひとつ、瀬戸内海に臨んだ町で育ったことがさぬき広島の光景をまざまざと目に浮かばせるのか。生まれが香川県高松ってことも、あながち外れていない。身に刻んだ「ふるさと」が過疎化へ向かって「遠くにありて想うもの」になっていた。それが、「ふるさと再生」というふうに、先の方にポッと灯りが灯ったような気分だ。この灯りは、でも、ワタシにとってなんだろうか。何が灯ったのだろうか。
 埼玉に暮らして仕事を定年退職し、ときどき山を歩いて身を自然に溶かし込むことを趣味のようにして生きてきた。それは、遠くにありて想うもののように、生まれ落ちた大自然のワタシが遙かに遠く近代の暮らしに馴染んでしまって、もはや帰る「ふるさと」がなくなっていることを悔恨するような振る舞いだったのだろうか。それがさぬき広島の再生によって、「かえりなん、いざ」という灯りが(コロナ禍を機に)灯ったということか。たしかに「三密」を蹴飛ばして、小さい規模の「暮らしの単位」で自律的に「しこう(嗜好・思考・志向)」を凝らして生きていける関係を創るに相応しいデキゴトではある。
 人口10万~20万人規模という冒頭ワタシの抱いたイメージは、地域社会の空間的単位、食糧生産と交換・調達、エネルギーの地産地消、教育機関とか文化的諸装置・メディアの自律単位などをぼんやりと思い巡らしたら、最小規模がそれくらいかなと思ったのだが、これって、まだ空間的行政単位まで取り仕切るばかりか、将来的には自立的に再生可能コミュニティまでイメージしているように見える。それは「独立」に等しい。
 だが、そんなことは考える必要もない。国民国家の枠の中でやっていくしかないと先ず断念して、自律的「暮らしの単位」は、他の自律的暮らしの単位と国民国家の場の上に十分な余白をもって関係を結ぶと考えて置く方が、自律の自在さも組み込めてオモシロイ。断念した所に自在さが生まれるってパラドキシカルな展開は、それ自体がワクワクするようなオモシロサを有している。
 そう考えを進めてみると、さぬき広島の動きに感じるオモシロサは、これから先、どう展開していけるかは、そこに住む人たちの「しこう(嗜好・思考・志向)」が動態的に作用して、期待と齟齬と確執と角逐がどう厳しく、激しく、柔らかく、穏やかに展開していくか。それが外の単位と(来訪客や輸出入)、あるいは場を設える行政との財政支援や税金の関係も汲み込んで、まだ見ぬショウライを探る楽しみが籠められているのかも知れない。これは、先の見えた八十爺が此岸のショウライを展望する滑稽さ・オモシロサも示しているってコトか。
 いや単なるイメージだけではない。ワタシの育った高松の対岸、玉野市のすぐ沖合にある香川県・直島のような変化が、丸亀市の沖合で、も少し違ったカタチで進行しはじめているってコトか。直島は岡山県初発のベネッセが「アートの島・直島」として梃子入れをして、創ってきた。さぬき広島には丸亀製麺がかかわっている。こうした企業の資金的余白が「ふるさと再生」に向かっていることにワタシの安堵の心持ちが支えられているのかも知れない。あるいは、さぬき広島へ移り住んで、ここでリモートワークをしながら、小麦の栽培をはじめるとか、ここから京都の大学へ通う学生が住まうとか、ここへ移住して子育てをしようという若い人たちがやってくるってことは、進学し就職し結局親元を離れ都会に棲み着いてふるさとを遠くから眺めるのをつねとしてきた人の流れの潮流が、逆向きに流れる様相を呈していることが、時代の変わり目を象徴するようで、うれしいのかも知れない。
 これって、そこに住んで「暮らしの単位」を創る人たちにとっては、何も小難しく「哲学対話」っていう必要もない。一度都会生活をした経験があれば、ヒトとヒトとの余白がどうであれば、息苦しくなく互いの在り様を尊重して関係を取り結べるか、肌身で感じとることができる(とワタシは思っている)。その余白を措きながら、「暮らしの単位」としての家族・家庭、ご近所と仕事、子どもと小中学校、ヒト・モノ・コト・カネの交流と交換と流通、などなどを思案していけば、それ自体が、それぞれにかかわる人々の「期待と齟齬と確執と角逐がどう厳しく、激しく、柔らかく、穏やかに展開していくか」がその都度問われ、問われるごとに自答して行かねばならない状況になる。
 そうだ、そこにこそ「自然(じねん)」が展開し、その中からさぬき広島の「しこう(嗜好・思考・志向)」が共有体験として醸し出されてくる。いいですねえ、そういうのって、と八十爺は、余白を措いて思っているのです。