mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

間に合った

2024-01-27 09:11:05 | 日記
 去年11月に山の本を上梓したことはいろいろと記した。反響の一つに山の会のオキタさんからの葉書があった。それには、一昨年(2022年)の11月に膵臓癌と診断され、余命半年と言われたが、何とか1年経ってまだ、生きながらえている、とあった。私は(その頃)手掌の手術をしてリハビリに通っていたから、山のことはすっかり忘れて暮らしていたが、そうか、そんな変化があったかと私より1年半年上の彼のことを思った。
 オキタさんと行った最後の山行は2020年2月19日、奥日光のスノーシュー合宿であった。そのすぐ後、コロナの緊急事態宣言が出され、公共交通機関が危ないといわれ、県境を越境しての移動を自粛するよう要請があり、2ヶ月ほど山の活動をしなかったことも重なって、ごく僅かの人たちとしか山へ行かなくなった。2年と10ヶ月のご無沙汰である。その間にこんな変化があったのだ。
 その後、オキタさんと一番親しかったカクさんを通して、12月の初め、訪ねたいと連絡をしたら、いついつがいいと返事をもらった。顔を見たときホッとした。すっかり窶れているのかと思ったら、相変わらずの痩身に笑顔を浮かべて「いやあ、驚きましたよ。膵臓癌なんてね」と淡々と話している。「うん、余命半年って言ってたけど、もう1年経っちゃった」と笑う。「子どもも気遣ってくれるし、時間はたっぷりあった。いや、これであちらへ行くってなっても、別段、だからどうってことはありませんね」とすっかり悟ったようなような口ぶりだ。むしろオキタさんに似てやはり痩身の奥様の方が気苦労で痩せてしまったような話をして、「山歩講」の本を読むと、ああ、こうやって元気に歩いてきたんだと気持ちが温かくなると、本のことを褒めてくれた。私は内心「間に合って良かった」と思っていた。
 カクさんもオキタさんの病状を知ってから、どう声をかけていいかわからず困っていたという。カクさんは細かく気遣いし、痛みへの響鳴性が高い人だから、ほんとうに電話をして様子を聞くこともできず、困惑していたようであった。オキタさんの恬淡とした様子と言葉を聞いて、喜んでいた。
 年を越えて今月中旬、山の会のリョウイチさんと奥日光で話す機会があった。オキタさんの様子を伝えると驚いていて、じゃあカクさんと私たちでオキタ夫妻を交えて、例年冬合宿をしていた奥日光で集まらないかと提案があった。そうだね、それがいいねと帰ってきてからカクさんに電話をし、奥日光への移動手段も含めて相談をした。先ず何よりオキタさんが行けるかどうかを聞きましょうとなった。
 カクさんは昨日、オキタさん家を訪ねた。「留守。病院にでも行ってるのだろうか。後で電話をしてみます」とメールがあった。午後私はご近所のストレッチがあり、その後月一の飲み会に行って、すっかり酔ってご帰還。私の留守中にカクさんから電話があったという。オキタさんが亡くなっていたそうだと聞いた。亡くなったのは17日。リョウイチさんと相談をした翌日のことであった。すぐに彼に知らせた。リョウイチさんからは電話があり、ミチコさんからは丁寧なメールが送られてきた。
 ほんとうに、本が間に合って良かったと私はあらためて思った。