mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

38年ぶりという冥土の土産

2023-11-06 09:44:06 | 日記
 阪神が日本一になった。リーグ優勝のときの方が感動が大きかったのは、どうしてだろう。前半戦に飛ばして、今年は優勝だぜと思っていたのに、後半戦に転けてしまう。こういうことを繰り返し、なんだかわが人生と同じやという感触がどこかにあって「見捨てられない」。そんなファン。
 交流戦が行われるようになって、阪神はことにパリーグに弱いと、わが身の裡に固定観念ができてしまった。だからオリックスと対戦となったとき、あっこりゃあ負ける、とわが身の裡にも固定観念が出来上がってしまった。でもどこかで、今年の阪神は違うでと感じている。セリーグの後半戦に入っても、死のロードの期間も、相変わらずリーグトップを維持している。
   うんうん、これこれ、そう、アレになるんじゃないかと密かに思う。この密かにが大事なのだ、と振り返っても思う。祈りのようなもの。口にするとするりと逃げて言ってしまう。誰かと声に出して話すと、もう絶対ダメになると感じる。だから、ソレが話題になったときには、いやあ負けるよ、いつか。それが阪神よと、わが人生を重ねて言葉にする。
 そうやって偶然を引き寄せてきたという経験が、あったかな、ワタシの人生に。
 リーグ優勝が早々と決まってからも、クライマックスシリーズの対戦相手によっては負ける可能性があると読んでいた。3位のDeNaが勝ち進むといやだな。広島相手の方が今年は分があるよと虎ファンの門前の小僧がつぶやいていた。ぎりぎり広島が勝ったとき、やれやれこれで阪神はリーグ優勝できるという実感が身の裡に湧き起こるのを感じていた。だからCS戦の阪神が広島に連勝したのは、ま、当然と。それくらい、苦手に対するときの阪神は、信用できない。まるで常日頃、ワタシが信用できないと私が感じているようなものだ。
 こうして早いリーグ第一位がリーグ優勝と重なって感じ取られ、でも内心では、そうそう、でもこれくらいが似合いなんじゃないか。日本一って願うと「欲を掻くんじゃないよ」とどこかでしっぺ返しを食らう。信用できないワタシの内心が、そう警告している。はらはらして試合を見るのは胃に悪い。でもどうなるか、みたい。ちょっと突き放して、同じ虎ファンのカミサンがソファでTVを観ているのを、離れたリビングのテーブルでパソコンをいじりながらのぞき見する。
 阪神にはリアル・ワタシ人生の代理戦争をして貰っているようなものだね。勝てばうれしい。負けても、やっぱりなと、ワタシを信用できない私の予感が当たったことをリアルに感じてホッとしている。ねじれてるといえばねじれている。でも自己省察が明察になっているといえば、優れた明察になっている。バカだなオレって、と思っていたらほんとうにバカだったっていうのを、明察といって喜ぶかどうかは別だけど・・・。
 こうして臨んだ日本シリーズ。始まる前にカミサンとした評定は、第七戦まで縺れる。三勝四敗か四勝三敗かで決まる。試合も接戦が続く。一点差というのがオリックスと阪神の力量差からするといいかなと、予測というよりも期待値を混ぜて意思表明しておいた。
 ところが第一戦、8-0。結果のスコアだけを見ると楽勝のように見えるが、実はそうではなかった。点数は、何かの拍子にポンポンと入る。「流れ」があるんだね。だから第二戦が、0-8となっても、腰砕けにはならない。ま、そんなものさと平気の平左。何しろ、その後甲子園に戻るのだから。
 さすがに第三戦でオリックスに負けたとき、如何に1点差、いい試合であったとは言え「やっぱり阪神」の固定観念が甦った。第四戦で五分にしたとき、ほらやっぱりオレのいった通りだろうと予感の鼻が高くなった。
 そして第五戦、阪神が「あと一勝」にして京セラドームへ移ると決まったとき、カミサンはオリックスの投手・宇田川が打たれてベンチに戻ったときの萎たれた顔を見て気の毒やなあと心情を推しはかっていたが、私はわが「明察」が浮き上がるのを感じていた。。第七戦までいくことが決まったかのように感じて、「ほら、ほら、言った通りだんべ」と口にする。それを耳にするカミサンは第六戦で阪神が勝ったら終わりだよと、わが謬見を嗤うが、かめへん、かめはん、そうなったらそうなったでケッコウなこと、嗤ってもええよと、人柄が大らかになる。優位にあるときのヒトのクセが丸出しであった。
 そうして「明察」通り、第六戦は負けた。オリ投手・山本が阪神投手・村上に第一戦の恨みを晴らす如く、圧倒した。「どうした村上」とスポーツ紙も見出しにするほど、村上はコテンパンであった。ワタシはどこかで「予感通りや」と思いながら、でも「明察」が文字通りリアリティをもったことをうれしがっていた。
 第七戦。これは私もソファに寝ころんで観戦した。阪神がリードしたとき、風呂に入った。いい湯であった。風呂から出たとき、さらに阪神は3点追加した。カミサンは「これで間違いない」と喜んだ。「いやいや待て待て、そうは問屋が卸さないのがタイガースよ」と、オリックスの逆襲を予想していた。だが、運転手不足のご時世、問屋もはやばやと卸してしまったんだねと、いつも結果論として消えてしまった「大喜び」の熾火を焚きつけるでもなく、静かに38年ぶりの「日本一」を振り返っているのでした。
 岡田監督が「前回優勝したときは27歳でした」というのをきいて、そうだ、そうだった。牛若丸の吉田義男が監督だったか。ヒゲのバースが打った。真弓もいた、平田もいたかな。田淵もいたんじゃなかったかと、名前が浮かびはしたものの、当時の岡田彰布のイメージが残っていない。あれ? 外野を守っていなかったか。ショートだったかなと、守備位置までおぼろ。でもまあ、その岡田が65歳。前期高齢者だ。私が八十爺の二丁目に入っていることも仕方ないなあと感慨深い。
 阪神はワタシの鏡。勝てよ、勝ち続けよというファンとはひと味もふた味も違うよと、今年は歯牙にもかけなかった「伝統の一戦」相手チームをチラリと思い浮かべている。
 2023年の阪神日本一はまさしく冥土の土産。次の阪神日本一のときは、墓の下にいる。
 いやいやタルチョのように風に吹かれて大気中に揮発しているよ。そういえば子どもの頃から「大気晩成」って言われていなかったっけ。ははは。