mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

ヒトとカネを動かすのが権力

2020-12-07 09:23:08 | 日記

 いま(12/7)TV番組で、コロナウィルスの感染広がりにともなう医療体制の危機的状況が逼迫していると、大阪の場合をあげてやりとりしている。気になったのは、コメンテータとして出演している元大阪市長・橋下徹の発言。
 看護師を増やせないのかという芸人コメンテータの発言に対して、少子化の将来を見越して全国的には医師や看護師の養成数を減らしている厚労省の政策を説明したのちに、「看護師などの過剰地域から不足地域へ強制的にでも異動させられるのが権力ですよ。それができるのは政府しかないんだから」と発言していて、なるほど妥当な意見にみえるが、それを実行に移すにはずいぶんとクリアしなければならない前提が必要で、今ここでの提言になっていないと感じた。
「強制的に異動」という言葉の響きが(平穏な日常性にどっぷりと浸ってきた社会には)強烈に過ぎるほど、庶民感覚と開きがある。もちろん緊急事態という、状況全体の特異性が(橋下徹の)頭にあるのはわかる。だとすると、むしろ、自衛隊の医療チームを投入するとという「緊急対応」を提案した方が、はるかにリアリティがある。
 それと同じことなのだが、医療が逼迫して、医療従事者の勤務が過労気味になっているにもかかわらず、コロナ関連医療機関の看護師が辞めていっているとか、一般医療機関からコロナ対応医療機関へ移ろうとしないとか、逼迫した医療従事をしている現場でも、手当てが追いつかず、寧ろ給料が下がっている事態があると、番組はニュースを挟みこむ。それに対して厚生労働省は何兆円かの手当てを施して地方行政機関に遣うように指示しているのに、各都道府県は2月県議会を経なければ使えないとコンプライアンスの壁があると、橋本徹は融通の利かない法適用の現場を抉り取る。なるほど、それもそうだよなあと思いはするが、でも「緊急事態」なんだから、臨時議会を招集すればいいではないかと思う。なんだか地方の首長の方も、臨機応変の対応をするのにへっぴり腰ではないか。
 橋下徹は「ヒトとカネを動かすのが権力なんですから」と、政府や地方首長への哲学的示唆でまとめていったのだが、そのときひとつ、私が「気になってわだかまっていること」に気づいた。
 橋下徹の提言が、原理的に言えばそうだよなあと思う。他方で、でもなあと、何か引っかかるのは単なる原理的な物言いと庶民の日常感覚のズレ。このズレの根底には何があるんだろう。そう考えてみると、日ごろ、医師や看護師の養成とか医療体制の整備というときの厚労省のスタンスは、ヒトとカネと箱モノの配置ばかりである。しかもその根底にはコストパフォーマンスという経済合理主義ばかりが優先して、何のための医療体制なのか、百年先の将来を見通した社会医療を展望する、社会イメージを含む「人間要素」が欠落している。つまりふだん経済合理主義だけで仕切っておいて、「緊急事態」だからという「お上の印籠」かざして「ヒトとカネの移動を差配するのが権力」といわれても、ははあそうですねと畏まる庶民は、たとえ医者や看護師だってそうはいない。
 たぶんこれは、法的言語に浸って論議をする人たちの弱点なのだろうと思う。例えば日本の防衛モンダイに際しても、「身を捨つるほどの祖国はありや」と思わせるような「くに」では、せいぜいが、おカネは出すからよろしくねと、自衛隊という傭兵にお任せして知らぬ顔をするのが関の山ではないか。つまり、誇らしくもわが家族、わが身同様に守り抜きたいと思うほどの「くにづくり」をすることから説き始める防衛論議でないと、単なる防衛イデオロギーのやりとりしか、残されない。
 コロナウィルスという「国防」のモンダイを考える際にも、「人間要素」を算入する「くにの防衛」として、根底から貫き通す現実的提言が迫られている。それが、政治を志している人の真摯な態度だと思った。