mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

「生き心地の良い」とはどういうことか(1)

2015-03-23 11:32:14 | 日記

 岡檀『生き心地の良い町――この自殺率の低さには理由がある』(講談社、2013年)を読む。こういう調査をしている社会学者がいるんだと感心した。視点もいい。平成の大合併以前の市区町村区分で自殺率を調べ、その一段と低い町の何が率の高いところと違うのかを調べている。

 

 全国平均の「人口十万人自殺率」は「25.2」、ところが(旧)海部町は「8.7」。自殺率の低いベスト10の8位に入る。ちなみにベスト10のほかの九つはすべて離島である。さらにまた、海部町と隣接する2町の自殺率平均値は、「26.6」と「29.7」。これは何かある、とみるのも当然な差異である。

 

 この三分の一という数値の差異には何かあると睨んでアンケートやインタビューを行い、あるいは地理的な立地条件を比べて、自殺の少ないワケを解析している。視点がいいとは、平成の大合併によってできた広い行政区画では決して明らかにならない地域社会のエートス(一般的規範感覚の気配)を浮き彫りにしている。それに実際、「自殺率」という統計自体が、大きな行政単位に集計されると、いわゆる「平均値」になって、海部町のような特異点が消失してしまう。そういう意味では、今でしか解析することのできなかった研究だともいえる。

 

 まず、研究のデータや対象を取り扱っているしかるべき役所・機関に趣旨を説いて理解してもらうとともに、援けを得ながら、どうしたらいいかを探る。その上でコミュニティに移り住み、インタビューやアンケートの面談調査を行う。通常行われる社会学アンケート調査手法の「欠点」をカバーするべく、調査担当の人たちに調査趣旨を説明するところから、すでに回収の意味が深いところに届いている。何しろ1900件に近いアンケートの回収率が2回調査の平均値で93%になる。ふつうは回収率が6割を超えれば有効と言われている。調査協力者自体が、その調査の意味を十分咀嚼していなければ、かなわない数字だ。

 

 だがアンケート調査はこの研究のメインではない。しばらくそこに暮らし、その土地の人たちと言葉を交わし、その立ち居振る舞いから他の地域と気配が違うことを感じとる。そうして5つの差異を剔出している(以下の記述に付した番号は引用者がつけた便宜上のもの)。

 

(1)いろんな人がいてもよい、いろんな人がいた方がよい


 地域のエートスが他の地域と違う、とまとめる。「赤い羽根の募金の集まりが悪い」ということに気づき、なぜかと聞いてみる。「何に使こうとるかわからんもんに寄付するより、街のお祭りに出す方がええ」ということばから、出す人は出せばいいし嫌な人は出さんでもええ、当たり前のことじゃと、人との違いを気にしない自律性を見て取っている。それはすなわち他の地域では、他の人たちは出しているのに自分が出さないのは風が悪いというエートスと対照的である。

 

 それはさらに、「朋輩組」の運びにも関係する。他の地域ではほとんど消滅した「若集組」(若集宿)は、かつて地域社会の通過儀礼組織であった。年寄りから、(徴兵でいった)軍隊よりの方が緩やかだったと評されるほど先輩格からの「しごき」などがあって、戦後ほとんど消えていった。だが海部町では「朋輩組」という年齢階梯型共同体組織として今でも残っているそうだ。だが、「しごき」などは、「なんのこっちゃ。そりゃ野暮じゃ」と、その影も見えないという。つまり、先輩・後輩という序列が因習的な権力関係ではなく、協同的な共同関係にある。そのことを証だてる一つのアンケート調査結果がある。

 

 排他的傾向の度合い――①「あなたは一般的に人を信用できますか」、②「相手が見知らぬ人であっても信用できますか」という調査である。自殺率の低い海部町と【自殺率の高いA町】に比較である。

 

 まず、①「あなたは一般的に人を信用できますか」という問いに対して、
 [肯定]35.1【18.9】、[どちらともいえない]31.1【49.8】、[否定]33.8【31.3】とある。


  歴然たる違いだ。海部町の方が、楽天的というか能天気というか、おおらかである。

 

 ついで、②「相手が見知らぬ人であっても信用できますか」に対して、
 [肯定]27.0【12.8】、[どちらともいえない]28.3【42.8】、[否定]44.1【44.4】とある。

 

 このデータを読み取るとき、(アンケート結果を読むとき一般的に言えることだが)気をつけたいことがある。この地域にこれだけ%の人たちが散らばっているという読み方をしてはいけない。たとえば①に関して、海部町の人たちの胸中は、「35.1%が肯定」気分、「33.8%が否定」気分、「31.1%がどちらともいえない」気分と読むと、わりと地域のエートスが分かる。実体的な人数と考えると、人柄がぼやける。それほど截然とモノゴトを私たちは明快にしていないからだ。あれもこれもあり、でも1つ選ぶとすれば、まあこっちかなというふうに、回答している。つまり海部町の人たちは、「見知らぬ人」という他者を受け入れる許容度が(そうでないA地域に比べて)高いとみると分かりやすい。

 

(2)人物本位主義を貫く


 「地域リーダーを選ぶ際の基準」についての調査結果もある。
 二つの地域について、③「問題解決能力を重視」、④「学歴を重視」に関する肯定-否定の度合いを尋ねている。


 「ここでいう人物本位主義とは、職業上の地位や学歴、家柄や財力などにとらわれることなく、その人の問題解決能力や人柄をみて評価することを指している」と、まず岡は解説する。そうして、海部町と自発多発A地域と比較すると、以下のような違いが明らかになった。

 

 ③「問題解決能力を重視」について  海部町【A町】
 [肯定]76.7【67.3】、[どちらともいえない]17.9【23.6】、[否定]5.3【9.2】とある。


 
 ④「学歴を重視」については、
 [肯定]6.8【13.3】、[どちらともいえない]24.6【17.6】、[否定]68.6【69.1】という結果だ。

 

 それぞれの項目に関する両地域の差異はそれほど大きいとは思えないが、社会学的には「有意の差」だと岡は解説している。このデータも、前と同様、その地域の人の胸中で、その要素がどれほどの割合を占めているかと読み取ると、我が身と重ねて了解しやすい。

 

 ふだん私は、「学歴重視」の要素を権威主義と呼んでいる。有名人やブランド物、世間の評判に価値の重心を置く「権威主義」的な人は、けっこう多い。それはそれで根拠もないわけではない。有名大学の卒業者は、一般に学力においては優秀なのが多い。商品を選ぶときに、ブランド物の方が品質の心配をする必要がないことが多い。だが地域の暮らしに必要な能力となると、学力と比例するものではないし、会社などでの地位と相関するとも限らない。所詮人柄を見極めるのが一番いいと、私も思う。
 つまり、人物本位主義的に向き合う関係と権威主義的に向き合う関係では、後者の方が関係の硬直性が高い。人物本位主義的な場合、人は変わるし変わりうることが前提にある。人と人との「かんけい」は硬直的でない方が自由である。(つづく)