自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★八田與一の命日、日本と台湾と関係で何思う

2022年05月08日 | ⇒ドキュメント回廊

   きょう5月8日は、八田與一の命日にあたる。この名前を知っている人は金沢と台湾以外、ほとんどいないだろう。「はった・よいち」と読む。日本統治時代の台湾で「烏山頭(うさんとう)ダム」の建設に尽くした金沢出身の技師である。ダムは1920年に着工したことから、去年は命日にあたる5月8日に100年を祝う式典が現地で執り行われ、蔡英文総統は「ダムと灌漑施設の水は100年流れ続けている。台湾と日本の友情も双方の努力によって続いていくことだろう」と功績をたたえた(2021年5月8日付・NHKニュースWeb版)。

   烏山頭ダムは10年の歳月をかけて1930年に完成した。ただ、日本国内では1923年に関東大震災があり、ダム建設のリ-ダーだった八田にとっては予算的にも想像を絶する難工事だったと伝わっている。当時としてはアジア最大級のダムで、同時に造られた灌漑施設によって周辺の地域は台湾の主要な穀倉地帯となり、現在も農業だけでなく工業用水や生活用水として利用されている。

   八田の功績は戦後日本と台湾の友好の絆をも育んだが、台湾の独立派と中国と台湾の統一派によるつばぜり合いが過熱する政治情勢では、政争のシンボルになることもある。2017年4月、烏山頭ダムの記念公園にある銅像(座像)の首が切断され、中台統一派の元台北市議が逮捕された。日本より中国との交流を優先せよというメッセージだった。八田の座像はすぐさま修復され、同年5月7日に座像修復の除幕式、そして8日には金沢市から関係者を招いて慰霊祭が行われた。

   5月8日が命日というのは、ダム建設後、軍の命令でフィリピンの綿花栽培のための灌漑施設の調査のため船で向かう途中、アメリカの潜水艦の魚雷攻撃で船が沈没し亡くなった。その日が1942年の5月8日だった。座像は、八田が考え事をしている時によくとっていたポーズとされる。日本と台湾の友好の絆、独立派と統一派による政争のシンボル、中国による台湾の武力統一も懸念される中、「いま八田は何思うのか」。意味深なポーズではある。

(※写真は、台湾・烏山頭ダムを見渡す記念公園に設置されている八田與一の座像=台北ナビ公式ホームページより)

⇒8日(日)夜・金沢の天気     はれ


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