自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★続・国と人の尺度

2014年05月04日 | ⇒メディア時評
  前回のコラムで書いた「国と人の尺度」で避けたい誤解は、人が行動を起こすのに必要な刺激量の限界値、つまり反応閾値(いきち)がそれぞれ違っており、埼玉県の県立高校で新入生の担任の教師4人が入学式を欠席しわが子の入学式に出席したことを、「まあ、それぞれでよいではないか」と是認しているわけではない。そこには別の社会的な尺度の「職業倫理」というものがある。これは前に述べた個人的な尺度とはまったく別物である。

  もちろん、4人の教師は無断欠席したわけではなく、校長に事前に届けていたので、「倫理」を問うというのはおおげさかもしれない。ただ、新入生の担任が入学式の当日にいないとなると、どうなっているのかと不審に思う保護者(父母など)もいるだろ。一方で、擁護する人は、教師は聖職者ではあるが、人の親でもあり、職業より私生活を優先させるケースがあったとしてもそう目くじらを立てることもない。それは、校長との話し合いでの上の判断なのだから、相当な理由があったはず、と。

  ここで注目すべきは、学校教師への見方が最近変わってきていることである。学習塾など教育産業が独自に発展して、学校の教師に対する親の期待値が相対的に低くなっているのではないか、あるいは教師の存在がが軽視される傾向にあるのではないか、という点である。先日も大きな話題となった、佐賀県武雄市が始める、学習塾「花まる学習会」と組んでの小学校の運営だ。授業に塾の教材やノウハウを取り入れ、研修を受けた学校の教師が教える。さらに、放課後と土曜日の補習には塾講師が招かれ、児童たちを指導する。校名には「武雄花まる学園」と名づけるまるでに入れ込んでいる。これは、同市の総務省出身、45歳市長の敏腕のなせる業(わざ)とはいえ、子を持つ親のニーズをつかんでいる。そして、好意的にNHKの夜7時のニュース番組(4月17日)でも取り上げられた。地域の教育関連ニュースが全国ネットで放送されるのは、ある意味で異例である。

  逆説的なのだが、NHKは視聴者のニーズをつかんで、価値のある全国ニュースと判断したのだろう。既存の学校教育(初等、中等、高等含め)に対し、行き詰まり感、あるいは閉塞感、不信感を持つ親が多いので、そうした現在の学校教育に風穴を開ける話題、あるいは一石を投としての「全国価値」である。

  話は元に戻る。今の社会の風潮は、埼玉県の県立高校で新入生の担任の教師4人が入学式を欠席しわが子の入学式に出席したというニュースが流れても、視聴者は「ああそうですか。お好きに」という風向きかもしれない。教師は「聖職者」ではなく、ごく普通の「公務員」である。しかし、ごく普通の公務員であっても、自らが担当する新入生を受け入れるセレモニーを欠席するだろうか。

  そして、これは大学の入学式の光景なのだが、新入生とその父母同伴の姿で会場で目立つ。しかも平日である。「職業倫理」という言葉はもはや通じなくなってきているのだろうか。

⇒4日(みどりの日)朝・金沢の天気    はれ
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