自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆「地デジ」以降‐中‐

2011年07月26日 | ⇒メディア時評

 2009年6月12日、アメリカは日本よりひと足早く地上デジタル放送(DTV)への移行を終えた。アメリカの地デジ移行はさほど混乱はなかったというのが定評となっているが、果たしてそうだったのか、その後、どうなっているのか。また、日本とアメリカの地デジを比較して何がどう違うのかについて話をしてもらうため、きょう26日、アメリカ連邦通信委員会(FCC)工学技術部の法律顧問であるミラー・ジェームス弁護士を金沢大学に招き、メディアの授業に話してもらった。以下、講義内容を要約して紹介する。

        アメリカの「2009年6月12日」

 アメリカではケーブルテレビやBS放送の加入者が多く、アンテナを立てて地上波を直接受信している家庭は全体の15%とされていた。人口でいえば4500万人の市場規模となる。そのアメリカでは「2009年2月17日」がハードデイト(固い約束の日)として無条件に地デジへ移行する日と決められていた。これに合わせ、2008年元旦から、商務省電気通信情報局(NTIA)がデジタルからアナログへの専用コンバーター購入用クーポン券の申請受付を始めた。政府は40ドルのクーポンを1世帯2枚まで補助することにした。2009年に入り、クーポン配布プログラムの予算が上限に達してしまい、230万世帯(410万枚分)のクーポン申請者が待機リストに残こされるという事態が起きた。

 オバマ大統領(当時は政権移行チーム)は連邦議会に対して、DTV移行完了期日の延期案を可決するように要請した。同時にDTV移行完了によって空くことになる周波数オークションの落札者だったAT&Tとベライゾンの同意を得て、4ヵ月間延期して「6月12日」とする法案が審議、可決された。FCCの定めた手続きでは、「2月17日」の期限を待たずにアナログ放送を打ち切ることができるため、この時点ですでにアメリカの1759の放送局(フル出力局)の36%にあたる641局がアナログ放送を停止していた。

 オバマの「チェンジ!」の掛け声はFCCにも及び、スタッフ部門1900人のうち300人ほどが地域に派遣され、視聴者へのサポートに入った。ミラー氏は2008年11月から地デジ移行後の7月中旬まで、カリフォニア州北部、シアトル、ポートランドに派遣された。その目的は「コミュニティー・アウトリーチ」と呼ばれた。アウトリーチは、援助を求めている人のところに援助者の方から出向くこと。つまり、地域社会に入り、連携して支援することだ。

 ミラー氏自身が地元のテレビ局に出演して、地デジをPRしたり、家電量販店に出向いて、コンバーターの在庫は何個あるのか確認した。また、ボーイスカウトや工業高校の学生が高齢者世帯でUHFアンテナを手作りで設置するボランティアをしたり、NGOや電機メーカーの社員がコンバーターの取り付けや説明に行ったりと、行政ではカバーしきれないことを地域が連携してサポートした。そうした行政以外の支援を活用するコーディネーションも現地で行った。

 ボーイスカウトや高校生、メーカー社員も参加して「地デジボランティア」が繰り広げられた。アメリカの場合は移民が多く、多言語である。英語以外の言語(スペイン語、ロシア語、中国語など)に堪能な大学生たちはコールセンターで待機し、移民の人々から相談対応に当たったという。アメリカではアメリカなりのさまざま対応があった。

 2009年6月12日以降、アメリカで地デジ未対応は貧困層を中心にあったものの、同年7月いっぱいでクーポンの配布も終了した。では、アメリカでアナログ放送は完全に視聴できなくなったかというとそうではない。宗教団体や自治体が独自に電波を出す低出力テレビ(LPTV)がある。このLPTVも2015年9月1日に停波が決まっていて、この日がアメリカにおける「地デジ完全移行」となる。

※写真は、移民者への地デジ説明の様子(ミラー氏提供)

⇒26日(火)夜・金沢の天気   はれ

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