自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆早春、トキの旅~下~

2008年02月06日 | ⇒トピック往来

 トキがすでに急減していた1940、50年代、日本は戦中・戦後の食糧増産に励んでいた。レチェル・カーソンが1960年代に記した名著「サイレント・スプリング」には、「春になっても鳥は鳴かず、生きものが静かにいなくなってしまった」と記されている。農業は豊かになったけれども春が静かになった。1970年1月、日本で本州最後の1羽のトキが能登半島で捕獲された。オスの能里(ノリ)だった。繁殖のため佐渡のトキ保護センターで送られたが、翌71年に死亡した。解剖された能里の肝臓や筋肉からはDDTなどの有機塩素系農薬や水銀が高濃度で検出された。そして、2003年10月、佐渡で捕獲されたキンが死亡し、日本産トキは沈黙したまま絶滅した。

        雪上を歩くトキ

  上記のように書くと、農薬を使った農業者を悪者扱いしてしまうことになるが、私自身は、都市住民のニーズにこたえ、農産物をひたむきに生産してきた農業者を責めるつもりは一切ない。東京で有機農産物の販売を手がける「ポラン・オーガニック・フーズ・デリバリ」社長の神足義博氏も、「これまで都市住民に農産物を供給してきた農業者に『ありがとうございました』とまずお礼を言おう。そして、『これからどうやってなるべく農薬を使わない農産物をつくることができるかいっしょに考えましょう』とお願いをしよう」と提唱している(08年2月1日の講演)。有機農産物を増産するためには、全体的な方向転換しかない。トキやコウノトリが生息できる農村の環境を再生するためには地域の合意形成がどうしても必要なのだ。その合意形成は、過去の批判からは始まらない。

  中国のトキ調査は大雪にはばまれ、7人の調査チームのうち、私を含む2人は西安市の「珍稀野生動物救護飼養研究センター」でのヒアリング調査を終え、帰国することになった。残りの5人はさらに天候を見はからいながら、西安から11時間の列車に乗って、陝西省洋県へと向かった。以下は、その調査スタッフが見た洋県のトキの様子である。

  洋県では1981年に7羽の野生のトキが発見されて以来、保護と繁殖が進められ、現在では400羽余りの野生トキが確認されている。農地の一部には水を張る冬季湛水(たんすい)が実施されていて、今回の調査でも田畑で羽を休めたり、餌をついばむ10羽ほどのトキが確認できた。ある意味でダイナミックだったのは、トキが観察できた農地の周囲は民家が建ち並ぶ市街地のすぐそばにあり、人里と共存している。事実、田んぼの中を歩く調査スタッフの横をかすめるようにして飛ぶトキもいた。

  こうした田畑や水路を調査すると、トキの餌となるドジョウやカエルが豊富にいた。田んぼの水路にはコンクリートは使われておらず、そうした水生生物が移動しやすいようになっている。ところどころに、深水を張ってハスを栽培するハス田がある。このハス田と田んぼが水路でつながっていて、両生類などの生き物の供給源になっている。冬の餌場を確保するため、水辺面積を増やしてそこに常水を張るようなことも地域で取り組んでいる。トキと共生する人里の風景がそにあった。 (※写真は雪上を歩くトキ=珍稀野生動物救護飼養研究センター)

⇒6日(水)朝・金沢の天気   くもり

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