自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆メディアのツボ-31-

2006年11月26日 | ⇒メディア時評

 過日、ある大手新聞社の世論調査担当の記者と話す機会があった。「世論調査は調査自体が難しくなっている」と随分と危機感を募らせているという印象的だった。

     悩み多き世論調査

  大手紙の全国調査は選挙人名簿から3000人を地域的や性別・年代などの偏りがないように無作為で選び、「有権者全体の縮図」をつくる。全国の有権者は1億330万人(05年)なので、1人がおよそ3万人余りの代表となるわけだ。ちなみに私が住む石川県の場合だと28人が調査対象数だ。

  世論調査は大きく分けて、対面調査、電話によるRDD(ランダム・ディジット・ダイヤリング)、郵送によるものの3つがある。「調査自体が難しくなっている」というのも、面接の場合だと核家族化が進んだせいで在宅率が低い、防犯意識の高まりでインターホンの段階で門前払い。電話だと「オレオレ詐欺」や「振り込め詐欺」の影響で電話が鳴るだけで不審感が先立つことが多くなった社会風潮もあり、のっけから断られる。あるいはナンバーディスプレーが普及して、知らない電話番号は受話器を取らない人が多くなった。郵送は回収率が低い。

  こんな状態なので、面接調査だと80年代は回収率80%だったものが、最近は60%ぐらいの回収率が目立つ。調査現場では苦戦を強いられているのだ。確かに調査人の質の問題もあるだろう。調査人にはアルバイトの学生も多く、中には一回目の調査でけんもほろろに断られると意欲を失う者もいる。粘って食い下がるという若者が少なくなったのかもしれない。

  回収率が低いということは調査の品質が低下していると同義語である。かといって、登録制による調査のような「協力的な人」や、割と親切に答えてくれる高年齢の「在宅率の高い人」に偏った調査では民意は反映できない。忙しく、つっけんどんで、言葉のきつい人にも調査をしなければならない。無作為とはいえ、有権者3万人の中から選んだ人なのだ。「忙しいから」と断れたくらいで簡単に引き下がっては調査にならないので、再度アポを取る。すっぽかされてもまた翌日、ドアをノックする。これが世論調査の基本だろう。

  世論調査という民意が劣化したら、おそらく内閣や政党の信任の度合いのバロメーターが機能しなくなる。また、個々の重要な政策についてもマスメディアそのものが論評する根拠を失ってしまう。つまり議会制民主主義の補完機能が失われるのだ。

 ただ、マスメディアが行う世論調査で異常に関心を呼ぶものがある。投票前の選挙情勢調査と投票場前での出口調査だ。ところが、投票が終了していないにもかかわらず、候補者の選対本部がマスコミ各社の中間集計の情報を知っていて、マスメディア内部での情報漏えいが問題になったりする。あるいは、投票が終わった直後に選挙特番が始まり、出口調査の精査と分析をしないまま生データだけをグラフにして、「大躍進」や「惨敗」の見出しを躍らせるテレビ局も多い。そして誤報が繰り返されている。

 日ごろの地道な世論調査が回答拒否や回収率の低下という大きな壁にぶつかっている一方で、数年に一度の華々しい選挙調査ではモラルハザートを起こしている。調査対象者の変化を嘆く前に、マスメディア自体に問題、あるいは危機感というものがないのだろうか。

 ⇒26日(日)朝・金沢の天気  くもり

コメント (2)
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