上越線には1995年夏の学生時代の鉄道系サークルの合宿で初めて乗っている。上りムーンライト(その当時えちごは付かなかった)で素通りしただけだが、同じ年に18きっぷで東京へ出て、新宿から下りムーンライトで新潟へ行き、新潟から折り返して乗っているので、その時に日のあるうちにループ線などを見ている。この頃のムーンライト(えちご)は165系改造車でグリーン車で廃用となったシートを165系に載せていたので、居住性は今の485系のそれよりも遥かに良かった。ムーンライトえちごもながら同様18シーズンには指定のとり難い列車だが、ながらと違って即日完売とならないのは、新潟から先の便が悪いせいもあるだろう。
上越線にはその後ほとんど乗っていない。学生時代はその後はムーンライト(えちご)に1度乗った以外は乗っていない。上越線に再度乗ったのは、これまたムーンライトえちごでこの時は新潟方面への乗り潰しを行うため、485系化された後のムーンライトえちごに乗っている。ムーンライト時代からそうだが、ムーンライトえちごは新宿から出ているせいか、泥酔客などが大宮までなど短距離で間違ってあるいは故意に乗ってくることが多く、旅行者と鉄以外にあまり行儀のいい客が乗ってくるのがたまに傷だ。また、485系ムーンライトえちごは先述したとおり、165系ムーンライト仕様車の座席よりも悪くなっている。ごくごく標準的な座席だが、リクライニング角度が浅く、足元が狭く、夜行向きの車両とは言えない。快速だから安かろう悪かろうでも仕方ないが、地方などでグレードの高い快速を走らせているJR東日本にしては頂けない車両になっている。
上越線にはその後、飯山線に乗るために長岡から越後川口まで2003年12月30日に乗車している。この時は車両トラブルにより長岡の発車が遅れて、越後川口で飯山線が接続待ちしてくれていたのを思い出す。このためゆっくり上越線を見物というような状況ではなかった。次に乗ったのはごく最近で2005年9月10日に急行きたぐにで直江津まで行き、直江津から北越急行の初乗りをして、越後湯沢まで行って、越後湯沢から上越国境を久しぶりに越えている。水上までは激空きの普通電車でループ線などをじっくり楽しめたが、水上からの107系電車は駅ごとに客を増やしていき、高崎に着く頃には超~満員になっていた。何か行事ごとでも重なっていたのかもしれないが、日曜の朝のいい時間に高崎に着く電車にしては短すぎたのかもしれない。コストダウンもいいが、こんなことでは地方ではみなクルマに逃げられてしまうので、何とかしなければならない。
水上以南は高崎近郊路線として成り立ちそうな感じがする上越線だが、水上以北とりわけ水上~越後湯沢間に関しては時代が時代なら3セク化云々よりも横軽のように廃止の可能性もあったのではないかと思われる路線だ。東京方面から新潟及び日本海縦貫線へ抜ける貨物の通り道であることなどから、今後も廃止という目はないと思われるが、新幹線でさえ列車密度が低いところだから、場合によっては貨物列車をFGT化して、高崎~長岡、新潟間で新幹線貨物を運転することも検討すれば面白いかもしれない。そうなれば上越線水上~越後湯沢間はそれこそ存在意義が問われ、廃止の可能性も出てくるだろう・・・そんなことは今のところあり得ない話だ。
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