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EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

JR東海道本線豊橋~米原間

2007年03月14日 | 東海

070102tokaido313y34  東海道線米原~名古屋間に初めて乗ったのは、学生時代にとあるサークルに所属していた時に合宿へ行く時に18きっぷで乗車した。鉄集団とは言え、団体行動で予定は他人が決めてういたので、ただついていくだけという感じで乗車したが、その当時米原~大垣間は60分毎にしか運転がなく、電車の両数も3両程度しかなく、物凄い混雑だったのを覚えている。この状態はしばらく続き、東海道の難所は米原~大垣間、山陽の難所が姫路~岡山間というのが京阪神から18で旅行する際の越えなければならない難所だった。今では東海道に関しては増発、増結が行われ、難所というイメージではなくなっている。

 この時米原~大垣間でヘトヘトになった後に乗った311系新快速があまりにも快適だったので、名古屋の新快速もやるな!!と思った。実際今でも名古屋の新快速はやる!!のだが、スケールという点では京阪神の方に軍配が上がるように思う。名古屋到着後は味噌カツ弁当を購入して、先に記した中央西線へと足を向けたので、このときは名古屋以東には乗車していない。

 名古屋~豊橋間に乗車したのは、その合宿の帰りに東海道を延々と西下していった時だった。豊橋からお決まり通り新快速の道中を楽しんだが、その時に見た大府付近の線路用地がやたらと気になった。その当時はネット社会ではなかったので、家に帰ってネットで調べるということはできなかったので、詳しい人間に聞いてみるしかなかった。曖昧な答えしか出なかったが、貨物線を建設するのと同時に東海道線にも貨物専用線を造る計画があったということだった。正確なのかどうかはわからないが、南方貨物線のことを言っていたのだと思う。

 その年(1995年)にはその後一度東上の際に再度東海道線を利用している。この頃はまだ東海道を昼間利用してもまだまだ物珍しい時期だったので、苦にはならなかった。しかし、以後は米原~大垣間の苦や豊橋以東のロング詰め込み地獄などもあり、徐々に昼から夜の東上へとシフトするようになった。とは言っても学生時代に当時165系を使用していた大垣夜行を利用したのは一度だけで、ムーンライトながら化されてからも数回しか利用していない。学生時代はあまり東京方面の鉄道に興味がなかったので東上の機会が少なかったこともあるが、学生時代は大垣夜行とは縁があまりなかった。

 名古屋訪問で驚いたのはきしめんの出汁の黒さだ。関東のうどんやそばの出汁が黒いとは聞いていたものの、名古屋まで出汁が黒いとは思わなかった。関西風に慣れた身としては関東が最近関西風流行りで、味が良くなってきているのに対し、名古屋は未だに伝統の黒い出汁のままなので、うどん出汁での名古屋の評価は私の中では頗る低い。

 うどんの評価とは別に電車の評価は名古屋近辺では非常に高い。とりわけ関東と比べれば雲泥の差だ。関西とはスケールでは一歩譲るものの、新快速の高速運転は、速度制限が各所にある関西と違って、ほぼ真っ直ぐ線路が伸びる名古屋都市圏の方が上ではないかと思う。2006年末から2007年初頭にかけて乗り潰しの東海攻めをしているので、最近も名古屋地区を通ることが多くなっているが、オール転換クロスの313系増備車の出来もよく、運転規模では京阪神のそれには譲るものの、サービスに関しては一歩も譲ってないなという印象を受ける。しかし、313系は223系より若干シートピッチが狭く感じるのは私だけだろうか?