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EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

JR山陰本線(益田~下関間)

2007年07月03日 | 山陰

030830saninnagatosi3_1  山陰本線長門市~下関間には98年夏の中国地方遠征で制覇している。この時はムーンライト九州で門司まで行って、当時はまだ門司まで乗り入れていた山陰本線気動車に乗って、長門市まで乗っている。山陰本線は益田以北が景色がいいイメージがあったが、下関~長門市間もなかなか海沿いを走るところもあり景色が良かった印象がある。長門市で少々ブレイクタイムして、時間の都合で乗れなかった仙崎支線の終点仙崎を見るだけ見て長門市まで戻り、長門市からキハ23非冷房車に乗って益田まで行っている。益田からは山口線に入り、津和野で途中下車して津和野観光をして、夕方の列車で小郡まで出て宿泊している。

Jw8_2  翌日は小野田線などに乗り、美祢線で再び長門市まで出て、前にも書いたが、前日のキハ23非冷房車に参った経験を活かし?今度は快適にキハ181系いそかぜに乗って益田まで行っている。18きっぷ利用だったので、別料金を支払って乗っているが、貧乏学生には痛い出費ではあったが、今となってはキハ181系いそかぜに乗っておいてよかったと思える。益田からはこちらも貴重なキハ58系快速石見ライナーで江津まで行っている。

 山陰本線下関口には後1回美祢線の乗り直しと仙崎支線の乗り潰しをした03年8月30日に訪問している。この時もムーンライト九州に乗り、下関で降りて山陰本線気動車に乗って長門市まで行っている。雨の中の道中で景色を楽しむにも土砂降りだった印象があり、さらに途中山間部にて、毛虫が線路を占拠して車輪が空転して勾配を上れないという事態になり、何度もエンジンを吹かして上りきろうとするものの、何度も失敗して、30分ぐらい立ち往生して、何とか山を登り切り、30分遅れで長門市に着いた。長門市での仙崎支線との連絡は時間に余裕があったが、到着時には既に出発時刻を過ぎており、連絡待ちがなければ乗れない状況だったが、ここは同じJR西日本だけに融通を利かしてくれて連絡待ちしてくれていた。98年に乗れなかった仙崎支線のリベンジを果たして、折り返し長門市まで戻り、長門市から美祢線の乗り直しをして山陽筋に出ている。全国津々浦々鉄旅行をしてきた中で何番目かに数えられるほどのピンチを迎えた山陰本線の道中であった。

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JR美祢線

2007年07月02日 | 山陰

030830mine58kanekomisuzu2  JR美祢線には98年夏の中国遠征にて制覇している。この時は小野田線や宇部線の時にも書いたが、小野田線本山支線のクモハ42がメインで遠征していたので、行程の方も必然的にそちらを優先する行程となっていた。クモハの興奮冷めやらぬ中、宇部線経由で厚狭へ出て、厚狭で美祢線列車待ちの間少し時間があったので駅前のコンビニでおにぎりなどを買い込んで朝食をとった。美祢線も列車本数が少ないので厚狭では小1時間ほど待ったはずだ。美祢線のキハ120はロングシートで確かトイレも付いていないタイプだったと思うが、なんせクーラーの効きが悪く車内が非常に暑かったのを思い出す。前日山陰本線でキハ23の非冷房車に乗って暑い車内にうんざりしていたので、美祢線でも新しい気動車なのになんでクーラーの効きが悪いんだと怒っていたはずだ。最近は寛容?なので、こういったことは付き物ということで、鉄活動に専念していけるようになったが、この頃はこういった要因で鉄活動にやる気をなくす短気さがあった。我ながら情けない過去である。そういったこともあり、一度目に乗った時には暑さに参っただけで美祢線の記憶はあまりない。直前に大嶺支線が廃止されていたので、その跡をかすかに確認したぐらいで後は何も印象に残っていない。長門市到着後は前日のキハ23に参らされたので、長門市からまともな快速列車のある益田までキハ181系いそかぜに乗る贅沢をしている。

 それ以来美祢線に乗ることはなかったが、ホームページ拡張のため、乗った路線のページを全部作るという方向性が決まり(勝手に決めただけ)、それに即して乗ってない路線は乗り、乗った路線でも写真などのデータのない路線はとりあえず写真を撮りに行くという方向で動き出したので、何も痕跡を残してこなかった美祢線については乗り直しすることにした。03年8月30日に訪問しているが、この時は山陰本線仙崎支線の乗り潰しも兼ねて訪問している。ムーンライト九州で下関まで行って、下関から山陰本線を北上していき、長門市から仙崎支線に乗って、折り返して長門市から厚狭まで美祢線に乗っている。雨降りだったため、前面かぶりつきなどはしていないが、美祢線名物の貨物列車も少しだけ見られたし、行商のおばちゃんがたくさん乗っていることも見られたので、とりあえず前回乗った時よりも充実した乗車だったように思う。厚狭では臨時列車の金子みすず?号だったかを撮ることもできたし、美祢線としては前面展望撮影と貨物列車の撮影に心残りはあるが、とりあえずしばらく乗ることはないと思われる。

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JR山陰本線(園部~米子間)

2007年06月24日 | 山陰

070210sanin475  JR山陰本線の園部~米子間はJR嵯峨野山陰線のページと被るところもあるが、鳥取まで最初に乗ったのは96年夏で、鳥取まで山陰本線に乗って、鳥取からは因美線~智頭急行を経由して帰っている。この時初めて餘部鉄橋を渡ったが、同鉄橋には幼少の頃何度も訪れており、思い入れのある場所である。親が餘部近辺の民宿を知っていたこともあって、年に一度は訪れていたところだ。残念ながらクルマでの訪問だったが、民宿に泊まって翌朝通過する出雲を餘部の駅で見るのが楽しみだった。また、鉄橋もさることながら海水浴をしたときに見えた眼鏡トンネルも印象的だった。その頃から換算して10年以上ぶりの餘部訪問だったが、この時は通過するだけだったのであっという間に通り過ぎてしまった。

030726sanin582481tottoriliner  山陰本線鳥取以西に初めて乗ったのは98年夏の中国地方遠征の際で、この時は山陰本線西部や三江線、木次線などに乗って宍道から山陰本線に入って、気動車を乗り継いで、米子からキハ58系快速とっとりライナーに乗って、倉吉まで乗っている。倉吉からはスーパーはくとに乗って帰阪している。今となってはキハ58のとっとりライナーに乗ったのは貴重と言えるが、平坦区間が大半のため、鈍足なイメージがあるキハ58も見違えるような走りには驚いた。とっとりライナーにはこの時ともう一度02年の正月にも乗車している。倉吉から乗ったスーパーはくとは高速化前だったため、振り子気動車の名が泣くような案外な走りだった。展望ビデオ付の中間車は被りつき好きの私としては評価したいところだが、中間車と先頭車のタイムラグがあるため、ビデオを見ながら外の景色を見るとおかしな感覚になってしまう。

040828sanin12614  その後何度か山陰本線鳥取以西には乗車している。03年夏には山陰ディスティネーションの企画切符を利用して一畑電鉄などに乗るため山陰へ赴き、高速化前の山陰本線を楽しんでいる。04年夏には急行だいせんに乗って、木次線乗車前に早朝米子から折り返し倉吉まで普通に乗り、折り返しキハ126後初めて快速とっとりライナーに乗って米子~宍道と移動している。

 また、06年冬には廃止前の出雲の追っかけで泊~松崎間の有名撮影地へ出向いている。撮影前日に伯備線経由で宍道まで行き、宍道からヒルネ利用で出雲に乗って倉吉まで最初で最後の出雲の旅を楽しんでいる。撮影のフィーバーに比べるとまだ廃止まで1ヶ月程度あったとは言え、出雲の車内は鉄道マニアが集結した感があった休止中の食堂車を除き閑散としていた。翌朝は始発で移動して撮影地まで長躯徒歩で移動したが、撮影地は早朝からクルマ移動組みが既にスタンバイしていた。ローカル線の撮影地になればなるほど列車移動が少なくなり、クルマ移動が目立つのは鉄道ファンとしては寂しい限りだ。マニアでも撮り鉄と乗り鉄は別ジャンルといったところがあるのは寂しいというか情けないところで、鉄道が好きなのか写真を撮るのが好きなのかよくわからない人間が多い。鉄道を撮るのに鉄道には一銭も落とさずに、金をかけるのはカメラと時刻表や情報誌そして移動手段のクルマというのは如何にも鉄道ファンとは言い難い。私としては極力撮影でも鉄道利用を心掛けるようにしているが、鉄道では不便なところへ行くほどクルマ移動組みの多さにはいつも驚かされる。

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JR因美線

2007年03月24日 | 山陰

030728inbi181inaba  JR因美線に初めて乗ったのは、1996年夏に18で鳥取方面をグルっと1周日帰りで廻った時だ。山陰線の時にも書いたが、この時は京都から山陰線を西へ西へ鳥取まで乗り、鳥取から南下して行った。因美線列車は郡家から若桜鉄道が直通してくるのが有名だが、この時は智頭から先智頭急行に直通する智頭急行の気動車に乗車している。智頭急行へ直通する旅客は特急を利用するのか、それほど多くなく快適に座って上郡まで乗り通した記憶がある。

 この頃の因美線にはまだ急行砂丘が走っていたが、それには乗らぬまま廃止となり、智頭以南の因美線もしばらく放置したままになっていた。ホームページを始めてから最初は近畿圏の鉄道のみ取り上げてやっていたが、どうせなら乗り潰しながらホームページを拡大していこうと言うことで、再び乗り潰しに精を出すようになり、その最初の頃に因美南線に乗っている。2001年だったと思うが、JR西日本の新春フリー切符を利用した時に因美南線に乗った。因美南線には先にも後にもこの1回しか乗っていない。

 この時は12月30日の急行だいせんで大阪を発ち、途中篠山口までの乗車券と急行券を支払って日付が変わる篠山口からフリー切符利用となった。だいせんで米子まで行き、米子からスーパーおきで、山陰線未乗区間の出雲市~江津間を乗り潰して、江津で折り返しスーパーおきに乗り米子へ。米子から鳥取地区の高速化により姿を消すことが確実な快速とっとりライナーに乗って倉吉へ。倉吉からはスーパーはくとに乗って、因美線の途中の智頭まで乗車した。智頭で少々時間があったので、ちょうど昼時だったので何か食べられるものを探したが、駅の売店には菓子類しかなく、仕方ないのでポテチをかじりながら因美線列車を待ったのを覚えている。

 因美線は北線が鳥取の国鉄型のキハ47などが使われるのに対して、南線は津山のキハ120が使われている。勾配がきつい日本の原風景とも言うべき景色を見ながらの旅路だったが、この頃はデジカメは持てども撮影はそれほど熱心にしてなかったので、沿線を写した写真などは残っていない。急行砂丘の時代にはタブレットの交換などがあったようだが、今ではそれもなくなり、交換自体が珍しくなっている。北線は京阪神や岡山と鳥取を結ぶ重要な路線になったが、南線の方は急行砂丘が姿を消してから超~一級のローカル線に転落してしまった感がある。北線の存続は当たり前だが、南線の方は今後の行方は不透明と言える。

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餘部行き

2006年02月11日 | 山陰
 今日は明日の餘部鉄橋での出雲撮影に備えての移動日。来週は泊付近での撮影を試みる予定。どれだけの人出か少々不安を抱えながら行きます。今日は道中山陽新幹線~智頭急行~因美線を撮影しながら山陰道中を楽しんできます。
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