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EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

JR横須賀線

2007年03月17日 | 関東

050503yokosuka217f153  横須賀線に乗ったのはこれまた学生時代のサークル活動において乗ったのが初めてだった。この時は途中の鎌倉までしか乗っていない。後に18きっぷを利用して東京鉄巡りしたときに東京から久里浜まで乗っている。このとき久里浜からの帰りには京急を利用している。この頃はE217系が主体ではあったが、まだまだ113系が走っていた時代で113系に乗った記憶がある。途中の逗子で付属編成を切り離して、基本編成のみが久里浜まで行ったが、途中の田浦ではホームからはみ出して停車していた。これはE217系に統一された今でも変わらない。近年は湘南新宿ラインが乗り入れてくるなど横須賀線も様変わりしつつあるが、逗子以遠は京急との競合があるにも拘らず未だにローカルな雰囲気が漂う。これがJR西日本なら京急を目の敵のように追い回すところだろうが、JR東日本は余裕があるのか、京急にも分け前をやるという感じがしないでもない。JR西日本は京急同様電車的な走りをする会社だが、JR東日本は緩行と呼ばれる路線では電車的なところもあるかもしれないが、中電と呼ばれる中距離電車は如何にも列車というイメージを受ける。その辺りが横須賀線にも如実に出ているのではなかろうか。


JR東海道線(東京~熱海間)

2007年03月15日 | 関東

050110tokaido215nl12  東京口の東海道線に乗ったのは、先述した学生時代のサークル活動において東上した時だ。このときは大阪から東海道線を上り、名古屋から中央西線に入って、篠ノ井線で長野へ抜けて、信越線で新潟まで行って、新潟から当時はまだ165系アコモ改造車が入っていたムーンライト(えちごはまだ付いてなかった)に乗って新宿へ。横浜や鎌倉で観光など一息入れて、東京へ戻って、東京から熱海まで215系快速アクティに乗った。これが東海道線東京口の初乗りだ。215系はシートこそ固定クロスでシートピッチが狭く、当時京阪神を闊歩していた221系や先にも書いた中京地区の311系と比べると今ひとつだったが、走りと車内の静粛性についてはひけを取らないものがあった。現在はラッシュ時の湘南ライナー以外の運用がないようだが、如何にも勿体無いものだと思う。他にも用途がありそうだが、臨時のホリデー快速などは非日常的な車両として利用者に行楽気分を与えてくれるはずだから、この車両に適任であると思われるので、もっと幅広く臨時列車などで活用して欲しいものだ。

050110tokaido113k46  東海道線東京口はその後何度も乗っているが、215系に乗ったのは最初の1回とその2年後に東京遠征した時に快速アクティに乗った時の2回だけだ。湘南新宿ラインでも1度乗っているが、東海道線ではその後は乗る機会はなく終わってしまった。東京遠征すると西から221系→113系→311系→113系(静岡)→113系(東京)と徐々にレベルが下がっていく傾向があったが、東上していくと編成の短い静岡地区を通って、夕方あたりに静岡に着くと静岡始発のJR東日本の長い113系に当たるスジがあったので、それまでの座れない地獄から解放されるという意味では長い東日本の113系は車両レベル云々は抜きにして有り難い存在ではあった。なお、東海道を全線走破して東上したのは学生時代1995年に実現している。それ以後完全に東海道線を昼間全線走破したことはない。たいてい夜のムーンライトながらか寝台急行銀河、あるいは部分的に新幹線利用というのが多い。

041230tokaido6647fuji2  東海道線東京口と言えば、新幹線が開業しているので、昼間の在来線特急は伊豆方面へ向かう踊り子とこの春廃止になる特急(急行)東海のみと撮影者としては面白味に欠ける路線だったが、朝夕の時間帯は西へ向かうブルトレが出ており、それ目当てで撮影に出かけることも多かった。私自身カメラを持って本格的な撮影をしたのがデジカメ購入後とかなりスタートが遅かったので、ブルトレ全盛期の写真などは全くない。私が東京口で撮影し始めた時には既にみずほ・あさかぜ1・4号の姿はなく、はやぶさ・さくらは併結運転を行っていた。右の写真のように富士が単独運転しているのにはなんとか間に合ったが、この直後にあさかぜ・さくらが姿を消している。この富士を撮った時は、その2列車の追っかけと富士の単独運転を捕らえるのも東上した一つの理由となっている。昼間はもちろん乗りつぶしをしているのだが、朝夕は東海道でブルトレ撮りを行っていた。富士の写真はちょうど鶴見線を乗り潰した後に、鶴見駅を通過する富士を撮る為に、跨線橋から撮影したものだ。