今、どこ?

日々思いついたことをちょこちょこ書き込む備忘録的な何か。

衝撃のラスト

2022年03月28日 | Weblog

なんかまたBSの話でごめん。

 

先日、BS松竹東急で『幸福の黄色いハンカチ』が放映されてました。

この作品が映画館で上映されていた頃は私もさすがに園児でした。

しかし、その数年後には「なんとかロードショー」のようなテレビ番組で放送されていました。

母がこれを「実は前にもテレビで観たけど、面白いんよね。」とか言いながらまたテレビで観ていたので、「そんなに何度も観たくなるほどいい映画なのか?」と子供ながらに思いました。

それで先日BSでの放送。

あの時のことを思い出し、たぶん面白いのだろうと映画を観てみることにしました。

 

確か、母が観ていた横で子供の私はうつらうつらと船を漕ぎながら観ていたような観てなかったような(昔のは確か夜に放送されていた)感じだったので、ところどころ少しだけ見覚えのあるシーンもありました。

しかし、やっぱり子供だったからでしょうね。

内容はほとんど覚えていなかったし、ラストがどんなだったかも思い出せなかったので今回の放送を改めて面白く鑑賞していました。

ラストの近くあの黄色いハンカチがたくさん竿に並んでいるシーン、あれなんかは子供ながらに「ああ、ここで母親が涙を流しながらみていたなあ~」などと思い出したのですが、どう考えても最後の最後が思い出せない。

それで、「たぶんハンカチのシーンで最後なんだろう」と思っていました。

が。で・す・よ!

最後の最後、そのシーン。

実は武田鉄矢と桃井かおりのぶっちゅー濃厚キスシーンでしたの。

 

それで、思い出した!!!

 

あのシーンの前。

黄色いハンカチをみつけて健さんが奥さんの所に歩いていって、泣き出す奥さんを抱き寄せるシーンでうちの母・・・

 

涙を流しながらテレビ消してました!いきなり。ブチッと。笑

 

子供ながらに「なんで!?」と思ったのを最後のシーンとともに鮮明に思い出しました。ハハハハハ

母も「これは子供には見せられん」と以前に一度観た記憶からそんなことしたんでしょうな。

わたし、それを思い出して大笑いしてしまいました。

すごいね~。40年くらい前の話なのにね。

 

子供って変なことはちゃんと覚えてたりするから、大人の皆さん、気をつけないとね~。


BSよしもとでホークスみれた!

2022年03月25日 | Weblog

BSよしもと」が始まりましたね~。

BS265chに合わせるとみれるのですよ。

合わせ方が分からない時は、BS1のNHKにして、リモコンの下がる(↓)を1つ押すと観れますよ。(スマホでもみれるらしいです)

で、今日はホークスの開幕戦。

最初から最後までずっと放送してくれたおかげで関西在住の私も無事初戦を観ることが出来ました。(https://bsy.co.jp/programs/special/yoshimoto_baseball0325/)

ありがとう、よしもと様~!笑

 

しかし、「BSよしもと」を知らない人も多いようで、うちの妹に「新しくBSでよしもとは放送始めたよ」と言っても、「さすが関西やね~」と言われてしまいました。

「いや、BSやけん、日本全国でみれるやん!」と言っときましたけど。

よしもとさん、まだまだ知名度低いみたいですよ!!!

頑張って宣伝しないと。

 

そしてホークスの試合、たくさん放送してくださいませ~~~~~!!!

よろしく頼んだわよ~!

 

ちなみに明日26日からはBS松竹東急(BS260ch)、27日にはBS Japanext(BS263ch)も始まりますよ~。

チャンネル増えるのは嬉しいね。


伸ばせ~!

2022年03月24日 | Weblog

この前、これ(↓↓↓)買ったんですよ。

「ストレッチローラー」だとか「フォームローラー」だとか言われるやつ。

私が買ったのは2700円くらいのソフトタイプのものなのですが、これ、

すごおおおおおおおおおおいですよ!

去年から病院に行っても治らなかった五十肩の痛みが、1回ゴロゴロしただけでなくなりましたの!!!ほんと。

背中の真ん中へ縦に置いてゴロゴロ~ゴロゴロ~。

麺棒で生地を伸ばすように、肩甲骨のあたりから肩の後ろあたりをゴロゴロ~ゴロゴロ~。

最初はも~~~~んのすごく痛いんですが、それを終えて上体を起こし肩を回すと、いつもの電気が走るような痛みが無くなっていました。

もうね、痛くないのが嬉しくて、思わず何度も腕をぐるぐる回してしまったぐらい。

まあ、肩の痛みが無くなった代わりに翌日、軽い筋肉痛はきましたけど・・・。

筋肉のストレッチと血行が良くなるというのが真相かなあ・・・とは思いますが、私のように整形外科でも治らない、低周波治療器でも治らない、サロンパスも湿布でも治らないというのであれば、一度試してみると良いかもですよ。

オススメします。


ちーがーうーだーろー!!!

2022年03月19日 | Weblog

セブンイレブンで「九州フェア」とか言うのやってますけどね。

ちょっと物申しても良いかしら。

ホームページの「九州弁」

あれ、なんですかね。

プンプン!

「九州弁監修:プロダクション・タンク」って書いてあるばってん・・・

あーた、ホントにちゃんと監修したとですか?

むちゃくちゃな方言で地元民はイラつくんじゃ~~~~~!

だいたい「九州弁」とひとくくりにしていることがおかしい!!!(怒)

福岡だけも博多弁、筑後弁、北九州弁・・・と地域によって全然ちがうのに。

 

あと、「ちかっぱ」は普段使わんけんね!!!

あれは「例のあの占い師」が好んで使っているだけであって・・・。

博多では「ちかっぱ」より「ばり」の方が普通やと思う。

 

あと、九州フェアで福岡の商品が「明太フランス」って・・・

せっかく全国のセブンで売るんなら、リョーユーのマンハッタンとか、むっちゃん万十のハムエッグぐらい出してこんかい!と悲しくなった博多民であった。オヨヨ~。


内陸の岸辺にて思ふ。

2022年03月11日 | Weblog

実は前々からこのブログにも書いてはいたのですが、うちの旦那が2月からついこの間まで手術・入院していました。

現在は退院し、長距離はまだ無理ながらも近所へ買い物に行くのにリハビリがてら私に着いてきたり、私が同乗して近所のお店まで車を運転するのも問題なく出来るまでに回復しました。

一時はどうなるかと思うくらい長い長い開頭手術(13時間)で、術後もしばらく集中治療室での看護のため完全面会謝絶状態でしたが、そこから見事に復活。

現代医学ってすごいですね。

 

ところで旦那が入院していた病院は「国立循環器病研究センター」という吹田市にある大病院。

JRの岸辺駅と立体通路でつながっており、旦那が入院中は着替えを持っていったり、汚れた洗濯物を持って帰ったりと何度となくこの駅を利用しました。

何度か岸辺に行くうちに、ふと疑問がわいたのです。

「なんでこんな摂津の平野の奥に『岸辺』なんていう海辺のような地名がついているんだろうか???」と。

JR岸辺駅

近所に大きな淀川が流れてはいますが、そこから「岸辺」と呼ぶには距離がありすぎます。

そこで興味がわいて検索をかけてみました。

すると驚くべき結果が出てきました。

それがこれ

Q:「地名「岸部」「岸辺」「吉志部」(きしべ)(大阪府・吹田市)の違いとそれぞれの由来」

<回答>

この地域は、朝鮮からの渡来人である吉師(吉士)(きし)が住んでいたことから、古来より「吉師部(きしべ)の里」と称されていた。(『吹田市吉志部ふるさとの今昔 社寺編』p1、『わが町きしべ』p10)

この吉師が釈迦が池(しゃかがいけ)の大蛇を退治し、その偉大な志を人々がたたえたという伝説から、吉師の師を志と改め、「吉志部(きしべ)」となったと伝えられている。(『吹田市吉志部ふるさとの今昔 社寺編』p14)

長寛2年(1164年)の文書に「吉志部村」とあるのが初見である。(『角川日本地名大辞典 27 大阪府』p368)

「吉志部」が「岸部」となったのは、明治22年(1889)の町村制施行で、吉志部村、南村、東村、七尾(ななつお)村、小路(しょうじ)村の五ヶ村を合併し、「岸部村」とした折である。(『吹田市吉志部ふるさとの今昔 社寺編』p1~2、『わが町きしべ』p45、『地名の由来』p95)

この時、「吉志部」の名前は大字(おおあざ)となって残った。(『わが町きしべ』p45、『地名の由来』p96、『角川日本地名大辞典 27 大阪府』p368)

その後、昭和15年(1940)に「岸部村」は、吹田(すいた)町、千里(せんり)村、豊津(とよつ)村との合併によって吹田市となり( 『郷土吹田の歴史』p197)

「岸部」の名前はなくなったが、「吉志部」という大字はそのまま継承された。(『角川日本地名大辞典 27 大阪府』p368)

昭和50~51年(1975~1976)の町名変更で、旧村の五大字(吉志部、南、東、七尾、小路)と近隣の錯雑地が、「岸部北(1~5丁目)」、「岸部中(1~2丁目)」、「岸部南(1~3丁目)」となり、「岸部」の名称が復活した。(『角川日本地名大辞典 27 大阪府』p368、『大阪の地名由来辞典』p114~115)

「岸辺」の由来は国鉄の駅名によるものである。昭和22年の新駅設置の際、岸部村の素封家・中西鉄蔵(なかにしてつぞう)氏が、「岸辺」駅と命名した。(『研究紀要 第44号 吹田の歴史学習資料集』p31)

なぜ「岸部」でなく、「岸辺」としたかについては、①「岸部」を「キシブ」と読む乗客もあるだろうから、できるだけ正しくキシベと読める「岸辺」の文字をあてた(参考資料3 p31~32)、②この辺りが古代浪華(なにわ)の海辺にあたることから という説がある。(『地名の由来』p95)

 

要約すると・・・

その昔、「吉師(キシ)」と呼ばれる渡来人が移り住んだ村が「吉師部の里」と呼ばれるようになった。

ある日、吉師さんが池の大蛇を退治して、その志を称えて「吉志」になり、漢字を「吉志部」と改めた。

それから時は過ぎ、明治時代にいくつかの村が統合され「岸部村」に変更された。

昭和に入って国鉄の駅を作る際、岸部村の中西さんが「岸部だと『きしぶ』と読み間違えられかねないし、古代浪華(なにわ)の海があったころここは海辺だったから」ということで、「岸辺」という漢字を駅名にした。

という紆余曲折を経て「岸辺」駅になったとさ。

 

そうなんですね~。

だからJRの駅名が「岸辺」なのに、近所の町名は元々あった「岸部村」の名残で「岸部北3丁目」とかになっているんですよ。

 

この上記の説明読んだ時、「なんかうちの旦那はこの病院と縁があったのかな~?」なんて思わずうなってしまいました。

だって、岸辺(岸部)は元々、「渡来人のムラ」だったんですから。

うちの旦那も現代の渡来人(韓国人)ですからね~。笑

その昔の渡来人さん、「吉師(キシ)」という名前だったようですが、韓国には実は「吉(ギル)」さんという苗字も結構いますし、もしかしたら「吉」氏だったんじゃないかなあ~?と旦那に話していると、旦那も「そうかも知れんなあ」となんだか感慨深そうでした。

いずれにせよ、様々なご縁でこんな病院を紹介してもらえることが出来、良い先生にも出会うことが出来、今回の難しい手術も無事成功して今に至ります。

本当に感謝以外ありません。

ありがたやありがたや・・・


名前が悪い。

2022年03月04日 | Weblog

いつの間にか3月ですよ、奥さん。

韓国のお友達がちらっと言ってましたが、あちらはもう新学期。

日本より1ヶ月早いんですのよ。

 

ところで韓国と言えば大統領選挙がいよいよ9日に迫ってきました。

ここに来て大きな動きがあったのはニュースを見ている人にはよくおわかりだと思います。

今回の大統領選挙に立候補していたアン・チョルス(安哲秀)が立候補を取りやめたのです。

この人は先日まで支持率でイ候補とユン候補の次、トップ3に名を連ねていた候補者。

野党の支持者にとっては、「アンさんが立候補を取りやめてくれればその票がユンさんに流れて一気に勝ちにいけるんだけど・・・」と願っていたことでもありました。

それが現実になったのです。

 

とは言え、このアンさん。

今までにも大統領選挙やソウル市長選挙などの大きな選挙に立候補しては立候補を取り下げ、ということが何度もある(クセが強い)人です。

今回も韓国国民はこう思ったはず。

「やっぱり。」

 

そういう話を入院中の旦那とラインでやりとりしていました。

すると旦那がこう言いました。

「だって彼の名前がチョルスだから。」

私が「何の意味か分からない」と言うと、こう返事が返ってきました。

「チョルス(哲秀)という発音は、『撤収(チョルス)』と同じ」

 

面白すぎて鼻水出ました。

 

そうか・・・

 

安・撤収

 

たしかに。

名前が悪い。笑

 

とは言え、アンさんはユンさんにその座を譲ることでユンさんが大統領に当選した暁には自分に高いポストを与えてくれるようお願いしていて、次の選挙の足がかりをつくった上で、ジリジリと登りつめる作戦だというのが大方のみかた。

 

さて、5年後はアンさん。

どうなるんでしょうね~。

興味深いです。