実は前々からこのブログにも書いてはいたのですが、うちの旦那が2月からついこの間まで手術・入院していました。
現在は退院し、長距離はまだ無理ながらも近所へ買い物に行くのにリハビリがてら私に着いてきたり、私が同乗して近所のお店まで車を運転するのも問題なく出来るまでに回復しました。
一時はどうなるかと思うくらい長い長い開頭手術(13時間)で、術後もしばらく集中治療室での看護のため完全面会謝絶状態でしたが、そこから見事に復活。
現代医学ってすごいですね。
ところで旦那が入院していた病院は「国立循環器病研究センター」という吹田市にある大病院。
JRの岸辺駅と立体通路でつながっており、旦那が入院中は着替えを持っていったり、汚れた洗濯物を持って帰ったりと何度となくこの駅を利用しました。
何度か岸辺に行くうちに、ふと疑問がわいたのです。
「なんでこんな摂津の平野の奥に『岸辺』なんていう海辺のような地名がついているんだろうか???」と。
JR岸辺駅
近所に大きな淀川が流れてはいますが、そこから「岸辺」と呼ぶには距離がありすぎます。
そこで興味がわいて検索をかけてみました。
すると驚くべき結果が出てきました。
それがこれ。
Q:「地名「岸部」「岸辺」「吉志部」(きしべ)(大阪府・吹田市)の違いとそれぞれの由来」
<回答>
この地域は、朝鮮からの渡来人である吉師(吉士)(きし)が住んでいたことから、古来より「吉師部(きしべ)の里」と称されていた。(『吹田市吉志部ふるさとの今昔 社寺編』p1、『わが町きしべ』p10)
この吉師が釈迦が池(しゃかがいけ)の大蛇を退治し、その偉大な志を人々がたたえたという伝説から、吉師の師を志と改め、「吉志部(きしべ)」となったと伝えられている。(『吹田市吉志部ふるさとの今昔 社寺編』p14)
長寛2年(1164年)の文書に「吉志部村」とあるのが初見である。(『角川日本地名大辞典 27 大阪府』p368)
「吉志部」が「岸部」となったのは、明治22年(1889)の町村制施行で、吉志部村、南村、東村、七尾(ななつお)村、小路(しょうじ)村の五ヶ村を合併し、「岸部村」とした折である。(『吹田市吉志部ふるさとの今昔 社寺編』p1~2、『わが町きしべ』p45、『地名の由来』p95)
この時、「吉志部」の名前は大字(おおあざ)となって残った。(『わが町きしべ』p45、『地名の由来』p96、『角川日本地名大辞典 27 大阪府』p368)
その後、昭和15年(1940)に「岸部村」は、吹田(すいた)町、千里(せんり)村、豊津(とよつ)村との合併によって吹田市となり( 『郷土吹田の歴史』p197)
「岸部」の名前はなくなったが、「吉志部」という大字はそのまま継承された。(『角川日本地名大辞典 27 大阪府』p368)
昭和50~51年(1975~1976)の町名変更で、旧村の五大字(吉志部、南、東、七尾、小路)と近隣の錯雑地が、「岸部北(1~5丁目)」、「岸部中(1~2丁目)」、「岸部南(1~3丁目)」となり、「岸部」の名称が復活した。(『角川日本地名大辞典 27 大阪府』p368、『大阪の地名由来辞典』p114~115)
「岸辺」の由来は国鉄の駅名によるものである。昭和22年の新駅設置の際、岸部村の素封家・中西鉄蔵(なかにしてつぞう)氏が、「岸辺」駅と命名した。(『研究紀要 第44号 吹田の歴史学習資料集』p31)
なぜ「岸部」でなく、「岸辺」としたかについては、①「岸部」を「キシブ」と読む乗客もあるだろうから、できるだけ正しくキシベと読める「岸辺」の文字をあてた(参考資料3 p31~32)、②この辺りが古代浪華(なにわ)の海辺にあたることから という説がある。(『地名の由来』p95)
要約すると・・・
その昔、「吉師(キシ)」と呼ばれる渡来人が移り住んだ村が「吉師部の里」と呼ばれるようになった。
ある日、吉師さんが池の大蛇を退治して、その志を称えて「吉志」になり、漢字を「吉志部」と改めた。
それから時は過ぎ、明治時代にいくつかの村が統合され「岸部村」に変更された。
昭和に入って国鉄の駅を作る際、岸部村の中西さんが「岸部だと『きしぶ』と読み間違えられかねないし、古代浪華(なにわ)の海があったころここは海辺だったから」ということで、「岸辺」という漢字を駅名にした。
という紆余曲折を経て「岸辺」駅になったとさ。
そうなんですね~。
だからJRの駅名が「岸辺」なのに、近所の町名は元々あった「岸部村」の名残で「岸部北3丁目」とかになっているんですよ。
この上記の説明読んだ時、「なんかうちの旦那はこの病院と縁があったのかな~?」なんて思わずうなってしまいました。
だって、岸辺(岸部)は元々、「渡来人のムラ」だったんですから。
うちの旦那も現代の渡来人(韓国人)ですからね~。笑
その昔の渡来人さん、「吉師(キシ)」という名前だったようですが、韓国には実は「吉(ギル)」さんという苗字も結構いますし、もしかしたら「吉」氏だったんじゃないかなあ~?と旦那に話していると、旦那も「そうかも知れんなあ」となんだか感慨深そうでした。
いずれにせよ、様々なご縁でこんな病院を紹介してもらえることが出来、良い先生にも出会うことが出来、今回の難しい手術も無事成功して今に至ります。
本当に感謝以外ありません。
ありがたやありがたや・・・