大学や大学院の授業ってこんなもんなんですかねえ・・・
期待して入ったのに、授業の内容があまりにもお粗末で、愕然としています。
確かに生徒の学力は高いのでしょう。
日本語や英語の資格をみんな沢山持ってます。
しかし、他の生徒達が「授業」というものをどう捉えているか、と考えると・・・
彼らは「何も理解出来ていない」のでは、と疑いたくなります。
例えば、先生が「本の次の章の内容を要約してこい」と言うとします。
すると、ある生徒は本の内容を全部ワードで打って、「発表する部分」に
アンダーラインを引くのです。
これで、「内容の要約」だと。
「本の要約」と言うのは、「文章丸写し」ではないと思うのですが・・・。
他の時には、「次の章の内容に関する批判、意見、質問などを考えてこい」という課題に対し、ある生徒は質問をいくつか考えてきたのですが、本人が自分の質問についてよく理解していない。
「つまり、何を聞きたいのか?」と先生が質問しても、自分が質問した内容を説明できない。
結局、質問をする人が、自分の質問内容を理解出来ていないわけです。
なぜなら、本文中に著者が「~は~であるが、果たしてそうであるかは疑問である。」というような事を書いていたとします。
彼はそれを「自分の疑問」として発表するのです。
普通、そういう著者の答えが出ていない場合は、お前が検証して意見を述べるのが筋っちゅうもんじゃないのか?と思うのですが。
自然、授業の流れはこうなります。
「本の内容丸写し→質問はトンチンカン→先生不機嫌→討論にもならない」
・・・
「つまらない。実につまらない。」
韓国人は「覚える」という勉強法は大得意のようですが、想像力がなさすぎます。
大学や院では受け身ではなく、先生を質問攻めにしたり、熱い議論を戦わせることが院の授業の本来の目的です。
先生が黒板に書いて、それをノートに清書して、という作業は高校までで終わりではないかと。
「教師(人)が『やらんとせん』としているその意図を汲み取る」という作業は実は社会人になってとても必要な事なのですがねえ。
とまあ、偉そうなこと言ってますが。
自分も大学生の頃はあんまり勉強しなかったので人のことは言えません。
しかし、社会人になって、先生という立場でものを見た経験があるので、先生が意図としていることは何か?というのはよくわかります。
ま、授業料を沢山はらったんで、私は意地でも頑張ろうと思ってます。
他人の事は知ったこっちゃない。
院の授業は己の修行じゃ。