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むか~しむか~しその昔。
長崎に住んでいた母方の祖母と、天草に住んでいた祖父は、上海行きの片道切符を握りしめ、時期は違えど、同じ長崎の港から出航し、かつてあった日本租界へと向かいました。
もちろん、当時二人はまったく面識はありません。
中学を卒業したばかりの祖母は、先に上海で定住していた親戚に呼ばれ、子守り兼お手伝いさんとして。
祖父は小学校を出るとすぐに、上海にあった日本人経営の時計屋へ丁稚奉公として入り、どちらもその後、数年にわたって上海で生活することとなりました。
祖母はほんの3~4年住んだだけですぐ長崎に戻ってきたようですが、祖父は12歳から24歳までの12年間を上海で暮らしました。
おかげで、当時、日本の片田舎では到底見ることもない煌びやかな世界を垣間見、魔都・上海で青春を謳歌していたそうです。
しかし、それも戦争の開始とともに終わりを迎えた訳ですが、若いころいろいろな人々と接し、様々な文化を体験したからでしょうか、祖父も祖母も偏見や差別というものを持たず、おしゃれで自分の趣味や生活を楽しみながら生きた人でした。
そんな祖父母もたどった上海・長崎航路。
それから数十年後に孫の私がその船に乗り込み、留学、就職、定住・・・と上海で長いこと暮らすことになろうとは、私自身思いもしませんでしたが・・・。
戦後、ずっと途絶えていた上海・長崎航路を結ぶ客船。
一時期復活し、貧乏留学生だった私も数回お世話になりましたが、赤字続きで数年後にはなくなってしまい、飛行機で簡単に安く飛べるようになった今、もう復活することはないと思っていました。
それが、いきなりの復活。
しかも豪華客船になって。
驚きです。
船内でショーやエステもあるだなんて。HISさん、すごすぎ。
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昔、私が乗っていたころは、日本人の乗客向けに「中国人従業員によるミニ中国語教室!」なんていうことはやってましたが・・・
特にこれといった娯楽施設もなく、揺れる船内でゲロゲ~ロになったり、カーペットの床で雑魚寝した思い出ばかり。
でも、さすが卓球台だけは立派なものがあって、お客さんが使っていないときに中国人従業員たちが、仕事そっちのけで楽しそうに試合していたのを思い出します。
この豪華客船って、中国人の富裕層をターゲットにしてるんだそうですね。
もちろん、日本人の中年層以上もでしょうけど。
その昔、貧乏な日本人が職を求めて「東洋のパリ・上海」へわたり、それから数十年後に貧乏な日本人学生と中国人を乗せ、今はお金持ちの中国人と時間をもてあました日本人の航路になったなんてね。
祖父母がもしまだ生きていて、この豪華客船を見たらきっと腰抜かすでしょうな~。ふふふ。