高齢者の運転する自動車が、スーパーに飛び込んだとか、駐車場から飛び出したとか、ブレーキとアクセルを間違えたとされる事故が、ときどき聞かれる。そんなこともあるのだろうと、他人事に思っていたが、自分自身がそういう体験をした。落ち着いていたつもりであるが、あとから思うと、事故になってもふしぎではなかった。まさに事故寸前であった。
小旅行に出かけた帰り道である。琵琶湖のすぐそばを走る「さざなみ街道」という信号の少ない道路がある。時折は、街中にはいることもあるが、総じて平坦で、上り下りは多くない。その場所は、街中に入ったところであった。のぼり坂があって、その下りである。スピードが出そうなところなので、凹凸の塗装が道路上に施されていた。
すぐ前の車が、信号待ちで、止まっていた。車間はつめていなかったが、不意をつかれた感じがあった。すぐさまブレーキを踏んだ。だが、思うほど効かない。少し慌てた。そして、足の力を緩めず(というより緩められなかったのである。)さらに踏み込んだ。ガタガタと聞いたことのないイヤナ音が連続した。それでもブレーキの効きが悪い。前の車をさけるべく、左にハンドルを切るが、柵があり、あまりきれない。
そのあたりでようやく車が止まった。なんとか事故は避けられた。まずは、瞬間、車の故障を疑った。車検をしたばかりであるが、なにしろ15年になる。しかし、次の瞬間、思い当たることがあった。靴がいつもの靴ではなく、少しゴツイ感じのウオーキングシューズであり、ブレーキとアクセルの両方を踏んだのではないかということである。
年齢のこともあるだろう。アクセルからブレーキへの足の動きが不充分だったのではないか、それらの原因がすぐに思いうかんだ。そして、さきほどのブレーキを踏んだ足である。踏み変えることができずに、ただただ踏み込んでいく、あの硬直した思い込みの動き。余裕のなさ。なんとか止まれたのは、まさにブレーキになんとか足がとどいていたからで、そうでなければ、思い切り、前の車に突っ込んでも不思議ではなかったのである。
常に余裕をもっていれば、思い込みをさけて、対処できたと思う。ブレーキにきちんと足を乗せかえることは可能だったはずである。運転の仕方を根本から考え直す機会となった。車は、走る凶器となりうる。本当に恐い体験であった。いつも、最悪の事態を予想しながら、真の余裕を持った運転をすることである。これを読んでくださる皆さんのお役にたてば幸いである。
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