憲法96条をかえることは、まずは、外堀(いや内堀かもしれない)を埋めるという話である。憲法を変えやすくしておいて、本丸の9条をかえようというのだから、これは、本気である。
日本が第二次世界大戦で、敗戦をむかえて、「憲法を押し付けられ」軍備も持てず、戦争もできない国になった。アメリカの子分となって、国を守ってもらうしかない状態を、なんとか一人前の国にしたい。北朝鮮、韓国、中国、ロシアの近隣諸国の横暴に、なんともできないのは悔しいかぎりだ。
憲法違反を敢行して軍隊を作った。あとは、この実態を、法的に認めさせることが残っている。それで仕上げである。教育もかえる。昔を取り戻すのだ。
国粋主義でなくとも、中国の横暴ぶりを目前にして、心中穏やかであるはずもないが、中国の国情をみるとき、同じように逆上する馬鹿は、さすがにいない。だが、憲法をかえる動機付けとしては、徐々に、勢いを増す。議会の勢力は、議員になろうかという人のあいだでは、かなりの高率で、憲法をかえたいという人ばかりである。
弁のたつ、器量のいい、「選良たち」が声をそろえて改憲をさけび、マスコミがのり、タレントが口をそろえて、キャンペーンをすれば、もはや、憲法9条は、風前の灯火である。
だが、平和というのは、本当に得難いものである。人類の幼さ、拙さは、未だに克服されていない。世界で戦火の消える段階には、未到達である。宗教、利害、民族主義、・・・さまざまな理由で、争いは続いている。宇宙船地球号は、あるべき姿にはなっていないのである。
憲法9条は、人類の宝ものである。戦争は絶対にしないという規則。日本は、こういう崇高な理想を掲げているのに、近隣諸国もアホである。日本を変な方向に行かないようにさせる知恵がない。心から尊敬し、尊重してやれば、相互にいいはずなのに、それができない。
アメリカに押し付けられても、宝は宝である。平和は、あたりまえの方向であるが、あたりまえのものではない。
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