アカ、とか、・・・簡単に排除するレッテルがある。「朝日新聞は、アカだ」といえば、それで話がすんでしまう。おおむね、庶民の味方的なことをいえば、アカとくる。それでいいのだろうか。
富裕層にとっては、貧しい人々が団結して、その富の源泉を狙われていると感ずれば、なんとか、これから逃れたいと思うだろうし、この勢力の撲滅のために動き出す。
抑えすぎれば、どうしょうもない人々は、テロだって、何だってするだろう。そして、悪循環が始まる。今もなお、その現象は続いている。
人類の歴史上、すべての人間が暮らしていくためにどうするかが、真面目に論議されて、具体的な対策をとろうとしたことがなかったのだろうか。そんなことはない。だが、その途中でさまざまなレッテル張りや、足をひっぱられ、自らの失敗もあって、頓挫の連続である。
だが、諦めるわけにはいかない。諦めれば、そこで、人類の将来は決まってしまう。人類総意の力で、現実に、共生の道が開かれるべきで、いずれそうなるはずである。
いま、そのプロセスにある、と考えたい。
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