このところ雑事に追われて、叔父の見舞いにいけないでいた。昨日、時間的に余裕があり、転院先の病院に始めていった。昨年の10月か11月に、発作をおこして入院。すでに7,8カ月経つ。
叔母は、その間、毎日病院通いを続けている。平時のときと変わらない。相当に頑張っているのだろう。睡眠をこころがげ、食事もきちんと、自分で作っているという。
当初、意識不明だったのが、昨日行ったときには、顔つきが元気なときの眼になっているのに、おどろいた。そして、理学療法士が食事のスプーンを口元にはこぶと、口をあけて、何サジも食べる。
時間をおいているから、相当に回復していることが、はっきりみられ、思わず感嘆する。それをみて、また、叔父が反応するようにもみえた。25日に手術して以来の食事だと叔母がいう。
叔母は、わかるときと、わからないときがあるという。しかし、小生の眼には、すべてを理解しているように見える。ただ話せないだけの様子のようにみえるのだ。
叔母が洗い物にと、席を外したときに、少し話かけるも、反応はない。適切な言葉がうかばない。だが、帰りがけに、声かけしたとき、叔母が、うながすと、「・・どうも ありがとう」と口をひらいたのである。
驚いた。発病以来はじめて聞く、こちらを認識しての声である。うれしかった。見舞いというのは、励ますものでもあるけれども、励まされるものでもある、ということを認識した。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます