見識を疑う、という言葉がある。そこそこの位というか、教養人として認められているとか、政治家であったり、知識と教養に満ち溢れていると思われる人が、とんでもないことを言い出したり、やったりすると、「見識を疑う」と言われる。
裏切られたという思いがそこにあるのだろうが、何か思いつめたり、固定観念にしばられていると、陥りやすい。そして、往々にして、個人は多かれ少なかれ、固定観念や、信念みたいなものから、逃げるわけにはいかない。
自分の意見や、判断基準がないままに、行動していれば、それは、いかにも危なっかしいし、信頼できる相手とは思われないだろう。ただ、ある個人に心酔し、その人に付き従うと決めている人は、迷うことなく、そう行動するので、外見上は、自信にあふれ、行動も敏速である。迷う事がない。
その決定権を持つ人物が、積極果断であれば、そのとおりに行動するから、これに対抗するのは、大変なことになる。一人でこれにたちむかうと、あらゆる、手段を講じられて、つぶされかねない。
これからの時代、こういう人々との「闘い」が重要になるだろう。一見、しっかりしているように見えても、肝腎要のところが、迷ったり、悩んだりしながら、自分の意見として、持っているかいないかを、(迷っていることも、自分の意見としている人も含める)見極めなければならない。
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